最終章 第1話

 死の霧――〝ミスト〟が世界を覆ってから、すでに七十余年の歳月が過ぎていた。

 変質していく自然環境。
 蔓延する不治の病。
 そして凶悪な怪物、ミストエネミーの出現。

 降りかかる様々な絶望を前にしても、人類は決して希望を捨てなかった。
 ヴァルクス王立軍ミスト調査隊、通称GEARSは、希望の鋼――ミストギアを携え、ついにミストの根源へと迫る。

 ここはすべての始まりの地――グラウンド・ゼロ。
原初の霧に包まれた大地には、剣戟の音が響き渡っていた。

剣の柄を強く握りしめながら、ノアートは前方の〝敵〟を見据えた。
〝敵〟は、皿のように大きく目を見開き、右手に握った金属槌メイスを無茶苦茶に振り回している。
「愚者どもに死を!」
〝敵〟が振るう金属槌を剣の刃で弾き、ノアートはなんとか距離を取った。
こんなの、冗談じゃない――と思う。
〝敵〟は、人間たちだった。中年男性に年若い少女、それから白髭をたくわえた老人もいる。老若男女様々な人間たちが、自分たちを殺しにかかってきているのだ。
 彼らが身につけているのは、いずれも文様の入った赤いローブだ。フードを目深に被った人々が、剣や槍、斧といった金属製の武器を手に、襲いかかってきている。
 彼らには鋭い爪があるわけでも、牙があるわけでもない。
 フードの下から覗く顔の半分ほどが結晶化しているのを除けば、彼らはノアートらとさほど変わらない、普通の人間たちなのだ。
 彼らはこれまで自分たちが戦ってきた怪物、ミストエネミーたちとは明らかに違う。意思疎通が可能なはずの人間が、本気の殺意をもって自分たちを襲ってくるなんて――ほんの数時間前までは、まるで想像もできない事態だった。
「くそっ……! なんなんだよ、こいつら!」
 ノアートの背中で、シエロが舌打ちした。
 常に明るい雰囲気で部隊を和ませてきた彼も、さすがにこの局面では余裕を無くしてしまっているようだ。緑色の隊員服はあちこちが切り裂かれ、愛用のバンダナには、大きな血の染みができてしまっている。敵に額を割られたのだろう。シエロもノアート同様、すでに満身創痍の様相だった。
 眼前の赤いローブの男が振り下ろした金属槌を、シエロはとっさに手にしたボーガンの銃床で受け止める。予想以上に重たい衝撃だったのか、「ぐうっ」と表情を歪ませた。
「どいつもこいつも、問答無用で襲ってきやがって……! こっちには戦う理由なんか、これっぽっちもねえってのに!」
「だけど、やらなきゃやられる!」
 ノアートの返答に、シエロは「わかってるけどさ!」と唸る。
「こんな連中の相手をしなくちゃならないなんて、聞いてねえよ! ただの鉄の武器でミストギアと対等に渡り合うなんて、なんの冗談だって話だ!」
「文句を言ってる場合じゃない! 実際そういう連中が目の前にいるんだから、もうやるしかないだろ!」
「ったく、ヘビィな話だぜ!」
 シエロがボーガンに矢をつがえ、眼前の金属槌を手にした男に向けて放つ。
 しかし、矢は敵のもとに届くことはなかった。男は、手にした槌をひと振りしただけで、シエロの放った矢を軽々と叩き落としてしまったのである。
敵の恐るべき反応速度に、ノアートは戦慄する。
 そもそもシエロのもつボーガン――『グリンカムビ』は、速射力に特化したミストギアだ。ミストのエネルギーを射出に用いることで、音速に近い速度で矢を射出することができるはずなのである。
 シエロの矢を叩き落とすなど、並の人間にできることではない。やはりこの〝敵〟を、自分たちと同じ人間だとは考えない方がいいのだろう。
 シエロとノアートの狼狽が伝わったのか、男は、フードの下で唇を歪ませた。
「畏れよ、これが神の奇跡だ」
「ちくしょう! なにが奇跡だよ!」
 シエロは舌打ちをしつつ、男に向けて矢継ぎ早にボーガンを打ちこむ。
 しかし、やはり射撃は通用しなかった。男は、連射された矢を容易く打ち払いながら、シエロに向けて突進を仕掛けてくる。頭上に振り上げた金属槌で、シエロを叩き潰すつもりなのだろう。
 危ない――! ノアートはシエロを突き飛ばし、前方に躍り出た。
敵もまさか、ここでノアートが真っ向から向かってくるとは思わなかったに違いない。「なにっ!?」と表情をこわばらせている。
その好機を見逃すノアートではなかった。剣を握り直し、ミストコアを解放する。コアが吸収した周囲のミストが、エネルギーとして刀身に伝わっていくのを感じる。
「〝スラッシュコフィン〟ッ!」
 ノアートの剣が、ひるんだ敵の胴体を捉えた。上段下段、袈裟に逆袈裟、加えて左右から瞬時に襲いかかる、六筋の剣閃だ。これまで幾多のエネミーを切り伏せてきた、強力無比なる剣技である。
 さすがの赤ローブも、全力解放したミストギアの威力には耐えきれなかったようだ。その半身を形成していた結晶体が砕け散り、「うぐうっ」と仰向けに倒れる。
 シエロが、ふうと額の汗を拭った。
「助かったぜ、ノアート」
「怪我はない?」
「ああ、おかげさんでな」
シエロが、倒れた男に目を向ける。さすがに、再び立ち上がる気配はないようだ。
「おれたちふたりがかりで、ようやくひとりか……。ホント信じられねえよ、この連中は。パワーも耐久力も、そこらのエネミーの比じゃねえ」
「ひとり倒したからって、まだまだ気は抜けないよ。敵はそこらじゅうにいる」
「だな」シエロが荒い息をつきながら、周囲を見渡した。「しっかしこの赤ローブども、何百人いやがるんだ? 次から次へと湧いてきやがる。これじゃあ前に進むどころか、そのうち押し負けちまうかも……」
「――だったら、気合いで押し返しゃあいい!」
 荒々しい雄叫びが聞こえてくる。声の主は、ノアートらの前方で拳を振るっていた男だった。
 筋骨逞しい長身。敵を見据える鋭い眼差しは、まるで肉食獣のごとくに獰猛。全身に刻まれた無数の傷は、彼が数々の戦いを生き抜いてきた証だった。
 マクシミリアン・グランドー。
ノアートやシエロの、頼れる上官である。
「うおらあっ!」
 グランドーは腕に装着した巨大なナックル型ギア――『ピースメーカー』を、勢いよく振りかぶった。ミストエネルギーをまとった強烈な右ストレートが、敵の手にしていた槍を軽々と粉砕する。敵は、その勢いだけで、ゆうに十メートルは後方に吹っ飛ばされていた。
相変わらずの、鬼神のごとき怪力である。
 シエロが「すげえ」と息を呑む。
「人間相手にも容赦ねえんすね、大尉」
「んなもん、考えてる場合じゃねえだろ」グランドーが鼻を鳴らす。「敵が人間だろうが、怪物だろうが関係ねえ。連中が俺たちの邪魔をするってんなら、ぶっ飛ばして進むだけだぜ」
 まっすぐ前を見据えるその背中に、ノアートは心強さを感じていた。
 グランドーは、こういう男なのだ。いついかなる状況でも決してぶれない芯の強さで、常にノアートたちを引っ張ってくれている。
「つーか、容赦ねえつったら、あいつ・・・の方がよっぽどだろ」
 グランドーが少し後方に顎を向ける。
 彼の視線の先には、激しい風が吹き荒れていた。もっとも、ただの風ではない。風の正体は、圧倒的速度で繰り出される斬撃だ。目にも止まらぬ無数の斬撃が、赤ローブたちをなすすべもなく翻弄しているのである。
「なんだあの女は!?」「信じられない、あんな化け物がいるなんて……!」
 赤ローブたちが狼狽を見せている。そもそも彼らとて、じゅうぶんに化け物じみているのだ。そんな彼らが『化け物』と畏怖する相手は、ひとりの美しい女性だった。
「私の邪魔を、しないで」
 煌めくように美しいシルバーブロンド。強い決意のこめられた碧い瞳。その華奢な肢体を包むのは、青と白を基調にした優美な戦装だ。
 彼女こそ、GEARS最強のエース・オブ・エース。トルナード・ヴェイルである。

 シエロがひゅう、と口笛を吹く。
「やっぱとんでもねえな、トルナさんは」
 最強の名に恥じぬ神速の剣が、敵を次々と屠っていく。誰も彼女を止められない。まるで流麗な円舞のごとく、彼女は戦場を自在に舞い踊る。
 敵も味方も、彼女の剣さばきに釘付けになっていた。もちろんノアートも同様だ。彼女の繰り出す連撃オーバードライヴは、戦いの技とは思えぬほどに芸術的である。
 彼女は敵を蹴散らしながら、ノアートたちのすぐ傍まで近づいてきた。剣を振るう手を止めぬまま、彼女は尋ねる。
「みんな、無事?」
「うん。無傷ってわけじゃないけど、まだ戦える」
 トルナそっけなく、「そう」と頷いた。
「私たちの目指す場所は、もう目と鼻の先。こんなところで、足止めを食っている場合じゃない」
「そうだね。なにがなんでも前に進むしかない。王都で待ってる、みんなのためにも」
 ノアートの脳裏に浮かぶのは、王都で己の帰りを待つ赤毛の少女の顔だった。
 ――絶対に生きて帰ってきて。
 少女――エルツィオーネ・ローレンから託された剣の柄を、ノアートはぎゅっと握りしめた。
 彼女との約束を果たすためにも、自分はここで死ぬわけにはいかない。エルのために、そして王都の人々のために、ミストの謎を必ず解き明かしてみせる。
 シエロも同じ気持ちなのだろう。ノアートに向けて、にっと白い歯を見える。
「せっかくここまで来たんだ。第七小隊全員でキッチリ生き延びて、笑って王都に帰ろうぜ」
「ああ」
 ノアートは剣を構え直し、前に向かって駆けだした。
 目指すべきは、『ミスト源』――。オペレーション・ミストブレイクの最終目標である。