最終章 第3話

色鮮やかな荒野の向こうから、何者かがゆっくりと歩いてくる。
 やってきた人物はふたり。どちらも襲撃者同様の赤いローブに身を包んでいるのだが、袖口や胸元に刺繍された紋様のデザインは、やや複雑なものだった。
察するに、教団の中でも地位の高い者のようだ。
「我が教団の聖戦士を容易く倒してみせるとは。王都にも、そこそこの手練れがいるということか」
 先に口を開いたのは、前を歩いていた方だった。
大きな目に、金色の髪。体格はノアートよりも頭ひとつぶんは小さい。見た所、サニィあたりと同じ年頃のようだ。なにやら、奇妙な存在感をもつ少女である。
 その少女の後ろを歩くのは、痩身の壮年男性だった。左腕に、王都では珍しい金属製の義手を装着している。立ち位置からすれば、少女の従者なのだろうか。

「お気を付けください。しょせん王都の人間など、礼儀も知らぬ、粗野な野蛮人なのですからねェ」
「心配はいらぬぞ、ベリヒト。この者らの武器で、我を傷つけることなどかなわぬ」
「まあ、確かにそれもそうですが」
 ふたりは、ホーライのすぐ前で足を止めた。
先頭の少女に向けて、ホーライが問う。
「何者だ、小娘」
「答えてやる義理などないが……。まあ良い。その矮小な脳裏に、我が名を刻め」
 少女がくすりと口元を歪めた。口の端に、白い八重歯が覗く。
「我は『霧の翼』が教主、アルトゥーラ」
 ノアートの脇で、シエロが「え」と目を丸くする。
「教主って……教団で一番偉いヤツってことか!? あんな女の子が!?」
「頭が高いですねェ」義手の男が鼻を鳴らす。「このお方こそ、我々を導く指導者にして神の依り代。あなた方のような野蛮人など、本来ならば、目を合わせることすら許されぬお方なのですよ」
 赤いローブの少女――アルトゥーラは「よい」と義手の男を下がらせる。その尊大な態度だけでも、彼女が教団内で高い地位にいるというのは確かなようだ。
『霧の翼』のトップは、年端もいかない少女だった――。ノアートにとっても、他のGEARS隊員たちにとっても、予想外の事実だった。周囲にざわざわ、と動揺が走る。
この目の前の華奢な少女が、ポロ・ウパシに続き、今しがた自分たちを襲った襲撃犯の首領だというのである。イメージとの違いに、「ううむ」と唸る隊員たちも多かった。
「……して、教団の主が、なぜここに現れた」
 ホーライの問いかけに、アルトゥーラは「知れたことを」と鼻を鳴らした。
「そなたらの知る通り、この地は神気しんきの生まれ出ずる場所。我らにとっては聖地である。聖地を冒す者を、許しておくわけはいかぬからな」
 神気――。教団員たちは、世界を覆うミストをそう呼称する。
 その神気を身体に取りこみ、ひとつとなることこそ彼らの教義だという。ミストとの合一によって神に至ることができると、彼らは本気で信じているのだった。
「なにが聖地だよ」シエロが呟く。「そもそも、ギアも無しにこんなミストの濃い場所にいるなんて、どう考えても自殺行為じゃねーか。こいつら、ミスト症候群が怖くねえのか」
 ミスト症候群。ヴァルクス王国の民を蝕む、恐るべき病である。体内に溶けこんだミストの影響で、細胞が壊死してしまうのだ。
 第一段階ステージ1は慢性的な咳と喀血。第二段階ステージ2は四肢の麻痺。第三段階ステージ3に至れば内臓の機能が停止し、完全に死に至る。
ミスト症候群は、一度発症すれば治療は不可能な、不治の病なのだ。
 しかしこの眼前の少女をはじめ、『霧の翼』の教団員たちには、まるでこの病を恐れている雰囲気はなかった。彼らがギアも持たずにミストの中を行動している姿を、ノアートはこれまでに何度も目撃したことがある。
 己の身体を危険に晒してまで、彼らは何を求めるのか。神気との合一とは、いったいなんなのか。ノアートにも、それは理解することはできなかった。
「『霧の翼』の教主よ。貴様らは、何を企んでおる」
 GEARSの総意を代弁するように、ホーライは続ける。
「人間は、ミストの覆う世界で生きていくことはできぬのだ。だからこそ我らはミストを止めねばならぬ。しかしなぜ、貴様らはそれを阻もうとする? 貴様らにとって、ミストとはいったいなんなのだ?」
 アルトゥーラは、「ふっ」と乾いた笑みを浮かべる。
「愚かな者よ。そなたらは何もわかっておらぬのだな」
「どういう意味だ」
「神気――そなたらがミストと呼ぶこの霧は、天が授けし恩寵なのだよ」
 アルトゥーラが両手を高く掲げ、天を仰ぐ。彼女の浮かべる恍惚の笑みに、ノアートはどこかそら恐ろしいものを感じてしまう。
「恩寵……じゃと?」ホーライが眉をひそめた。
「神気を取りこんだ動植物は、はるかに強靱な生命として生まれ変わることができる。このくらいは、そなたらも知っているな」
 少女が言わんとしていることは、よくわかる。
 ミスト環境下におかれた動物や植物は、ミストを身体の中に取りこむことで体細胞が変質し、ヒトを襲う怪物となる。ノアートたちGEARSは、その怪物を「ミストエネミー」と呼称し、討伐の対象としてきたのだ。
 アルトゥーラは淡々と続ける。
「草木や獣でさえ、神に近づくことができるのだ。ならば、人間にそれができないはずもあるまい」
「馬鹿な!」ホーライが首を振る。「貴様らは、人をエネミーに変えようというのか!?」
怪物エネミーなどと、無粋な呼称を用いるものではない。神気の恩寵を受けた人間は、そなたらよりもはるかに高次の存在として位置づけられるのだからな」
 ノアートは耳を疑った。彼女たち『霧の翼』は、人間をエネミー化することに対し、なんの躊躇も抱いていない。それどころか、それを崇高な行為と信じ切っている。
どうしてそんな発想に至ることができるのか、まるで理解できない。
シエロやグランドーも同様に、理解不能という面持ちで赤衣の少女をじっと見つめていた。自分たちの常識外の存在と対面し、言葉を失ってしまっているようだ。
みな押し黙ったまま、たっぷり十秒ほどが経過する。
静寂を打ち破ったのは、着信を告げる電子音だった。ノアートが腰に付けていた通信機から、妙に明るい声が響いてくる。
『ああ、ちょっといいかな。そこの赤ローブのひとたちに、ちょっと質問をしたいんだけど』
 通信機の画面に表示されていたのは、フリエレン少佐だ。相変わらず、神出鬼没のタイミングで通信を送ってくる男である。
 ノアートは通信機を手に取り、画面をアルトゥーラの方へと向けた。
 画面の中のフリエレンは教団のふたりに対し、『初めまして』と大仰に一礼する。
『人間をエネミーに変える……。実に面白そうな話だ。だけど教団じゃ、どんな魔法を使っているんだい? そもそも人間の体内では、ミストコアは生成されないはずなんだけど』
 動植物と人間の場合とで、ミストを摂取した場合の反応は異なる――と、フリエレンは説明する。
 動植物の場合は、ある一定量のミストを摂取することによって、体内にミストコアが生成され始める。そうして生成されたミストコアは生体の核となり、人智を超えた強力なエネルギーを生み出すようになる。
しかし人間の場合はいくらミストを摂取したところで、決してこうした変化は起こらないのだという。
『人間の細胞は、ミストへの耐性が極端に低い。だから体内でコアが生成される以前に、細胞が破壊されてしまうんだ。それがすなわち――』
「ミスト症候群ってわけか」
 口を挟んだグランドーに、フリエレンは『そういうこと』と頷き返した。
『ミスト症候群が存在する以上、人間の体内ではミストコアを生成することはできない。だとすれば、どうやってキミたちは人間をエネミー化しようとしているのか……。科学者としては、非常に気になるところだ』
 フリエレンは顎先に手をやりながら、『まあ』と薄笑いを浮かべる。
『ひとつだけ、仮説は考えられなくもないけれどね』
 義手の男――ベリヒトと呼ばれていた男は、フリエレンの疑問に「なるほど、なるほど」と忍び笑いを漏らしている。
「おそらく、あなたのご想像の通りですよ……。体内で作ることができないのなら、入れちゃえばいいんです。外からねェ」
「外から、じゃと……!?」ホーライが顔をしかめた。
「ええ、そうです。あなたたちだって、しょっちゅうやってるでしょ? ミストギアに、コアを装着して強化する……。それと同じことを、人間をベースにやればいいんです」
「よもや貴様ら……人間の身体に、ミストコアを移植したというのか!?」
ミストコアの移植――。そのフレーズを耳にした瞬間、ノアートは、はっと目を見開いた。
話がようやく繋がった。以前、トルナの口から語られたことだ。
 彼女はかつて、何者かの手によって体内にミストコアを移植されている。彼女はそのせいで「化け物」としての生き方を運命づけられてしまったのだ。
 このベリヒトという男の言葉が正しいとすれば――トルナの異能の謎は、彼ら『霧の翼』が握っているということなのだろうか。
 ノアートはふと、横目でトルナを見やる。彼女はただ押し黙り、じっとベリヒトを見つめていた。真剣な表情だ。彼女なりに、己の過去を必死で探ろうとしているようだ。
『人間へのミストコア生体移植……。やはり、キミたちは禁忌に手を出していたわけだ』
 フリエレンが呟いた。彼にしては珍しく、神妙な表情である。
『かつてミスト技研においても、そうした研究がなされなかったわけじゃない。ミスト症候群を克服するために、手段を選んでいる余裕はなかったからね……。しかし、コアの生体移植研究だけは、すぐに禁じられることとなった。人体への影響が、あまりにも大きすぎたからね』
「フリエレンの言う通りじゃ」ホーライが、深々と頷いた。「コアの生体移植は、人が行ってよいものではない。あれは、忌むべき所業じゃった」
「知ってんのかよ、ジジイ」シエロが目を丸くしている。
「うむ……。三十年ほど前、実際に技研で行われていたことじゃからな」
頷いたホーライの表情には、深い嫌悪の情が読み取れた。
人間とミストとの戦いには、七十年という長い歴史がある。人類の存亡をかけての戦いなのだ。ミストを克服するため、ありとあらゆる手段が模索されたはずである。
だからこそ当然、その手段の中に、決して表沙汰には出来ないようなものが含まれていたとしても、なんらおかしいことではないのだ。 眉間に深く皺を刻み、ホーライは続ける。
「ミストコアを移植された者の大半は、拒否反応を起こして即座に死に至る。実験が行われていた当時、移植を受けてなお生存できた者は、一パーセントにも満たなかった」
「一パーセント……!?」
ノアートは息を呑んだ。実験により、相当の犠牲者が出たということだろう。
ホーライはさらに、険しい表情で続けた。
「運よく適合できたとしても、それで成功というわけではない。一パーセントの適合者たちもみな、ミストコアの強力なエネルギーに耐えきれず、臓器に深刻なダメージを負ってしまったのじゃ。結局、移植実験から三年以上生存できた者は、誰ひとりおらなんだ」
かつて王都で、そんな危険な実験が行われていたことなど、知る由もなかった。確かにそんな研究は、禁止されても当然だろう。本来ミスト技研の研究は、人の命を救うために行われるべきものなのだから。
 ベリヒトが「くっくっく」と肩を震わせる。
「ええ、ええ。皆さんのご苦労、わかりますとも。ミストコアを人体に定着させるのは非常に困難でした。我々も、成功までにはかなりの歳月を要しましたからねェ」
フリエレンが、『ふうん』と鼻を鳴らす。『その言い方からすれば、キミたちは既に、コア移植の実用化に成功しているというわけだね』
「ええ。我々はその施術を〝神気の洗礼タオ・フェ〟と呼んでいますがね――」
ベリヒトの視線は、先ほどの襲撃者の遺体に向けられていた。
「その証拠が、ほら。あれ・・ですよォ」
遺体の周囲には、破壊された頭部の破片が散らばっている。ミスト晶石のようなその破片群は、生物の一部分だとは到底思えなかった。まるで無機物だ。
ノアートは、かの襲撃者がみせた驚異的な身のこなしを思い出す。人間とは思えぬあの身体能力も、身体の結晶化も、ミストコアによるものと考えれば納得が行く。
 あの襲撃者は、ミストコアの生体移植により、ミストエネミー同様の存在となった者だったのだ。
 アルトゥーラが、厳然とした口調で告げる。
「彼らこそ、我ら『霧の翼』が守護者。聖戦士だ」
「聖戦士……?」シエロがごくりと息を呑む。
「神気とひとつになることで、神へと至った者たちだ。聖戦士は、我らの教義を体現する理想の存在なのだよ」
 アルトゥーラが大きく両手を広げ、笑みを浮かべた。
「聖戦士にとって、神気とは恐れるものではない。むしろ、なくてはならないものなのだ。神気こそ力の源であり、命そのものなのだからな」
なるほど彼らは確かに、人間を超えた存在なのかもしれない。体内にミストコアがあるというのなら、彼らにとってのミストの捉え方は、普通の人間とは異なるだろう。水や空気と同じだ。必要不可欠なものでこそあれ、決して害悪ではない。
聖戦士には、ミストを防ぐ、克服する、という概念すら不要ということになる。
「マジかよ……。こいつらみたいなエネミー人間になれば、もうミストに怯える必要はねえってことか?」
 シエロが複雑な表情で呟いた。
ミストからの解放。それは王国全員の願いである。生まれたときからミストに怯えてきた立場からすれば、聖戦士のような肉体は非常に羨ましいもののようにも思える。
しかし――とノアートは思う。
身体をミストエネミーに変えることが、手放しで素晴らしいことだとはとても思えない。彼らの計画には、決定的な落とし穴があるのだ。
『これは一般的な話だけど』
フリエレンが、鷹揚に口を開いた。
『エネミー化した動物は、普通、凶暴化するものだよね。元が大人しい草食動物でも、エネミー化すればヒトや他の獣を襲うようになる。……これは体内のミストコアのせいで、脳神経に負荷がかかるためなんだけど』
「何が言いたい?」アルトゥーラが首を傾げる。
『ミストコアがもたらすものは、必ずしも身体能力の向上だけではないんじゃないのって話だよ』
 フリエレンが、眼鏡の奥で眉をひそめる。
『教団の皆さんの、その……聖戦士だっけ? 彼らの脳にも、なんらかの悪影響が出てるんじゃないの? 現にさっき襲ってきた彼も、どこか普通じゃなかったからね』
 ノアートは、先ほどの襲撃者の挙動を思い出す。
あの男は、瞳孔の開ききった危険な目つきで、ずっと何事かを呟いていた。こちらの話などまるで通じる余地もなかった様子だ。常軌を逸していたのは明らかである。
あれもまた、体内のミストコアの影響だったのだろうか。
「ええ、あなたのおっしゃる通りですよォ」
 ベリヒトが答えた。
「〝神気の洗礼タオ・フェ〟を受けた聖戦士たちの大半は、脳になんらかの障害が発生します。常に興奮状態に陥ったり、複雑な思考ができなくなってしまったり……他には、記憶に障害の残るケースもありましたねェ」
 記憶の障害――。そのフレーズで、ノアートはトルナから聞いた話を思い出す。そういえば彼女にも、幼い頃の記憶が無いという。
 やはりトルナも、聖戦士同様の施術を受けているということなのだろうか。
ベリヒトが「まあ」と苦笑する。
「脳機能に少々問題が発生したところで、別に大したことはないでしょう。神に近づく代償としてなら、安いものです」
「ちょ、ちょっと待てよ!」シエロが叫ぶ。「脳に障害が残るなんて、じゅうぶん大したことだろうが!」
『シエロくんの言う通りだ。実にナンセンスだね』
 フリエレンの鋭い視線が、ベリヒトを射抜く。
『僕も研究員のはしくれとして、ひとこと言わせてもらうよ。キミたちのしていることは、唾棄すべき行いだ』
ベリヒトが、「ほう」と興味深げに目を細めた。
「〝神気の洗礼タオ・フェ〟が、間違っていると?」
『新人類の創造――新たな技術を追求すること自体は、大いに結構だ。だけどね、僕は、科学や技術というものは、すべからく人類の役に立つために存在しなければならないものだと思っている。脳を損傷させた挙句、人間の意志を踏みにじるような技術なんて、ゴミ同然だよ。学ぶ気にもなれない』
 フリエレンにしては珍しく、真っ当な見解だ――。ノアートは思う。周囲を省みず常に自己中心的、エゴイスティックな彼だからこそ、人間の自由意志を束縛するような研究に嫌悪感を覚えているのだろう。
 シエロは「まったくだぜ」と憤りをみせる。
「つーか、そんな手術、誰が受けるっつーんだよ!」
「愚かですねェ」
ベリヒトが、シエロをあざ笑うかのように肩を竦めた。
「『もうミストに怯えることはありません』――そう告げるだけで、かなりの人々が『霧の翼』の門を叩きましたよ。グイーリンでも、ナハルでも、ポロ・ウパシでも……救いを求める者たちは、王国じゅうにいましたからねェ」
「そういやてめえら、マジでどこにでもいやがったな……。その赤ローブ、あちこちで見た覚えがあるぜ」
 グランドーが呟いた。
「そんでてめえらは、ミストに苦しむ人たちを上手く騙して、ここに連れてきたわけか。聖戦士だかに改造するために」
「騙すだなんて、人聞きが悪い」ベリヒトが口の端を歪める。「彼らは皆、真摯に救いを求める者たちでした。なんのためらいもなく、〝神気の洗礼タオ・フェ〟を受け入れてくれましたよ? 己の殉教すら厭わずにねェ」
「殉教……?」トルナが首を傾げる。
「洗礼が始まった当初は、誰もが聖戦士になれるわけではありませんでした。王都の研究と同じですよォ。ある程度の犠牲が出てしまったことは否めません」
ヒトとしての理性を捨ててまで、救いに縋る――そういう気持ちも理解できないわけではない。こんな明日をも知れぬ世の中では、極端な思考に陥る者もいるだろう。
ノアートが尋ねる。
「あんたたちはいったい、罪のない人を何人犠牲にしたんだ」
「さあ、三桁か四桁か……詳しい数は覚えてはいませんけどねェ……。どのみち、殉教者たちも彼岸で感謝していることでしょう。彼らは崇高なる〝神気の洗礼タオ・フェ〟の礎となることができたのですから」
「……なんて、おぞましい」
トルナが、吐き捨てるように呟いた。彼女の目には、珍しく怒りの色が宿っているように見える。
ノアートもまた、ベリヒトの薄笑いに強烈な嫌悪感を覚えていた。数百もの人間の命を犠牲にしておいて、笑みを浮かべていられるなど普通ではない。
出会ったばかりだが、直感的に理解できる。この男は邪悪だ。人間の命など、工作の材料程度にしか思っていないのだろう。
 ともかく――と、アルトゥーラがホーライに視線を向けた。
「オペレーション・ミストブレイクと言ったか。そなたらはもう、その作戦を止めるつもりはないのだな」
「当然じゃ」ホーライが厳しい声色で告げる。「我らの背には、王都数万の民がいる。彼らをミストの脅威から救うことこそ、儂らGEARSに課された使命。ここで退くなどあり得ぬわ」
アルトゥーラは、表情を変えずに「ふむ」と頷いた。
「それは、我々に対する宣戦布告と取って良いのだな」
「貴様らのしていることは、れっきとした命の冒涜なのだ。GEARSとして、到底看過することはできぬ」
ホーライが、腰から剣を抜き放った。『ORIGIN』――斬撃の威力に特化した、プロトタイプのギアである。
その切っ先をアルトゥーラに突きつけ、ホーライは告げた。
「『霧の翼』の教主よ。貴様らの悪行はここで止める。抵抗は無駄じゃ」
「抵抗は無駄、か……。それはこちらの台詞だな」
アルトゥーラが口の端を吊り上げた。
「これまでそなたらを大目に見てきてはいたが、本気で我らと事を構えるつもりならば話は別だ。神気を止めようなどという愚者には、しかるべき救済を与えねばならぬ」
「救済じゃと?」
「むろん、死という名の救済だよ」
 アルトゥーラが、背後に目を向ける。
 彼女の背後には、土煙が上がっていた。ざくざくざく、と夥しい数の足音が、規則的に響いてくる。
荒野の向こうから、大人数がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。身につけているのは、いずれも『霧の翼』を象徴する赤いローブ。男性もいれば、女性もいる。子供の姿もあれば、老人の姿もある。手にした武器も様々だ。
しかし彼らがそろって口にするのは、たったひとつのフレーズだった。
「愚者どもに死を!」
 異様な光景だった。その数は、百や二百ではとどまらない。おそらく、千人は下らないだろう。
 シエロが、ごくりと喉を鳴らした。
「なんだ、あの人数……!?」
「どうです、ちょっとしたものでしょう?」ベリヒトが、不敵な笑みを浮かべた。「彼らはすべて、我々の手で生み出した聖戦士たちです。果たして皆さんの玩具ミストギアで、彼らの相手が務まるでしょうかねェ」
 もしもあの連中の全てが、先ほどの襲撃者のような異能の持ち主だとしたら。自分たちは果たして、生きて帰ることはできるのだろうか――。
大量の敵を目の当たりにし、GEARS隊員たちのほとんどは戦々恐々とした表情を浮かべていた。腰を抜かしている者もいる。いまにも叫び出しそうな表情で震えている者もいる。
そんな中、トルナはひとり、平然とした表情で剣を抜き放っていた。
「あんな連中に、気圧されている場合じゃない。私たちのすべきことを忘れないで」
自分たちのすべきこと――それは、ミスト源を探すこと。そして、ミストを止める手段を見つけだすことだ。
自分たちGEARSはそのために、これまで長く険しい旅路を歩んできたのだ。トルナの言う通り、敵に気を呑まれている場合ではないのである。
ノアートもまた、己を奮い立たせるようにギアの柄を強く握りしめた。このギアを託してくれた幼馴染の想いを、無下にするわけにはいかない。
「そうだね、やるしかない。みんなで必ず王都に帰るって、決めたんだから……!」
 ノアートは剣型ギアを抜き放ち、構える。ミストコアの準備も完了。これでいつでも戦える。
視線の先ではアルトゥーラが、にやりと唇を歪ませていた。
「さあ、救済を始めよう」