最終章 第4話

深い霧の中に、GEARS隊員たちの阿鼻叫喚がこだまする。
「う、うあああ! ギアが! ギアがやられた!」
「くそっ……! こっちに来るな、化け物どもめ!」
「おい、しっかりしろ! 家に帰るんだろ! こんなところで目を閉じるんじゃない!」
 数刻前に開始された『霧の翼』との激突は、GEARS側にとって圧倒的に不利な状態で戦局が推移していた。
 聖戦士の数は、GEARSのおよそ数十倍。しかもそのひとりひとりが、ミストエネミーすら凌駕する驚異的な身体能力を有している。
 百戦錬磨の隊員たちでも、これだけの数の敵を相手にするのは至難の業だった。GEARSは、絶体絶命の状況に追い詰められていたのである。
「う、うう……。もう、やだよう……!」
 第五小隊副隊長、シャーロット・アルノーは、溢れそうになる涙をこらえながら、手にした魔砲杖を必死で握りしめていた。
 小隊に配属された当初からずっと愛用してきたギアは、もう使い物にならなくなってしまっていた。敵の攻撃でギアボードに亀裂が入り、砲弾を放つことができなくなっているのだ。
 これではまともに戦うことなんて、できやしない。
 一刻も早くこの場から逃げ出したい――。そう思っているのに、目の前の聖戦士がそれを許してはくれないのだ。
「愚者には死を。死の救済を……!」
 シャーロットを見下ろしているのは、棘付きの金棒を抱えた巨漢だった。背丈だけでも、ゆうにシャーロットの三倍はある。その金棒から滴る赤い血は、今しがた付近の隊員を叩き潰した際に付着したものだった。
 ギアが使い物にならない今、シャーロットにあんな巨大な金棒を防ぐ術はない。振り下ろされた瞬間、間違いなく自分は死ぬだろう。さっきの隊員のように、全身の骨がグチャグチャになって、原型すら残らなくなってしまうのだ。
 想像しただけで、血の気が引いていく。
「やだ……やだ……! そんなの、やだ……!」
 岩場に追い詰められたシャーロットは、まさに袋のネズミだった。
 今のシャーロットにできることと言えば、ただ震えて敵を見上げることだけだ。命乞いをしたところで何の意味もないということは、シャーロット自身理解している。
 この聖戦士という連中には、こちらの言葉は通じない。ひたすらに同じ言葉を繰り返すだけで、意思疎通をするつもりすらないようなのである。
「こ、こないでよおおっ! こっちにこないでえっ!」
 こんなはずじゃなかったのに――。シャーロットはぐっと下唇をかみしめた。
 シャーロットが第五小隊の仲間たちと共にこの島に上陸したのは、つい一時間ほど前のことだ。そのときの自分はもっと、希望に満ち溢れていたのである。
 この島に存在するというミスト源――それさえ発見出来れば、オペレーション・ミストブレイクは完了する。ミストの謎を解き明かし、大手を振って王都に帰れるのだ。
 そのときこそ、自分は「彼」に想いを告げる。そう決めていたのに――。
 しかし、現実は理不尽だった。
 突然『霧の翼』による襲撃が始まったかと思えば、シャーロットは激しい戦闘に巻きこまれてしまっていたのである。
 頼りにしていた第五小隊の仲間たちともはぐれ、連絡はつかない。
 怖い。怖い。怖い――ひたすら恐怖の感情だけが、シャーロットの心の中を駆け巡っていた。
 シャーロット・アルノーの一生は、ここで終わりなのだろうか。こんな不気味な島で、「聖戦士」などというわけのわからない連中の手で無惨に殺されてしまうのが、自分の運命だというのだろうか。
 眼前の巨漢は、無慈悲にも金棒を高く振り上げている。
 もうダメ――! シャーロットが固く目を閉じる。
 そのときだった。
「耳を塞いでろ、シャロ!」
 声が響いた。長年聞き慣れた「彼」の声だ。
 シャーロットはこれまでいつもそうしてきたように・・・・・・・・・・・・・・、反射的に耳を手で覆った。すぐ次の瞬間、鼓膜が張り裂けそうなほどの爆音が鳴り響く。
 巨漢の聖戦士は爆音に耐えきれず、「ぐうううっ!」とくぐもった声を漏らした。握っていた金棒が手から離れ、がらん、と地面に落下する。
 聖戦士を苦しめているのは、技研唯一の弦楽器型ミストギア、『ラウドノーツ』による音波攻撃だ。指向性のある音波を対象にぶつけることで、その脳神経を一時的に麻痺させる。一撃必殺の大技である。

 シャーロットもとっさに耳を塞いでいなければ、気を失っていたところだろう。ラウドノーツの音波は、首領級エネミーさえ行動不能に陥らせるのだ。
 屈強な聖戦士も、さすがに音の攻撃に対しては耐える術を持たなかったようだ。泡を吹き、そのまま背後に倒れてしまっていた。
「おいシャロ、怪我はねーか?」
 倒れた聖戦士の背後から現れたのは、ヘッドホンをつけた少年だった。
 シャーロットよりもはるかに小柄な体格に、生意気そうな釣り目。口元はいつものように、「へ」の字に結ばれている。腰だめに構えた弦楽器型のミストギアは、今しがたシャーロットを救ってくれたものだ。
 少年はシャーロットをまじまじと見つめ、「ふん」と鼻を鳴らしてみせる。
「ったく、副隊長がこんなところでベソベソ泣くなっての。子供か、てめーは」
 そのぶっきらぼうな口調に、シャーロットは安堵を覚える。これまでこらえていた涙が、目の奥から噴水のように溢れ出てしまったのだった。
「ブリットくうううううん! ありがとおおおおおおっ!」
「おいこら! いきなり抱きつくな!」
 ブリットが眉をひそめた。
 この少年――ブリット・ゼーヴァルトはシャーロットの幼なじみにして、第五小隊の隊長である。若干十七歳にしてGEARSの小隊長を務めるブリットは、掛け値なしの天才少年なのだ。少なくとも、シャーロットはそう思っている。
 一見すれば傲岸無礼な子供にしか見えない少年だが、シャーロットは彼が他人想いの優しい少年だということをよく知っている。事実、彼はいつもこうして、シャーロットのピンチに駆けつけてくれるのだから。
 ブリットは顔をしかめながら、シャーロットを引きはがした。
「こっちもあちこちボロボロなんだよ! 痛いっつーの!」
「あ!? ご、ごめん!」
 とっさにブリットから離れる。
 よくよく彼の様子を見れば、左の二の腕に大きな傷を負っているようだ。応急処置は終わっているようだったが、包帯の下から血が滲み出ている。かなり痛々しい。
 あれでは、まともに腕を振るうことすらできないはずだ。
「ブ、ブリットくん、その怪我……!?」
「ああ、大したことはねーよ。ちょっとドジ踏んだだけだ」
「そんな大怪我してるのに、わざわざ私のこと助けに来てくれたの……!?」
「当たり前だろ。てめーのドジををフォローするのは、昔から俺の役目だからな」
 シャロは思わず、再び「うううう……!」と感極まってしまった。
「ありがとおおおおおおっ! ブリットくうううううううん!」
「だからてめー、抱きつくなっつってんだろ!」
「でもでもっ……! 私、本当に嬉しかったからああああああっ!」
 鼻水をすするシャーロットの背をぽんと叩きながら、ブリットは「しょうがねえヤツだな」とため息をつく。
「まあ、ひとりでここまで生き延びたんだ。シャロにしては上出来だな」
 シャーロットは「えへへ」と口元を緩める。
 そもそも、彼に褒められることがシャーロットの生きがいなのである。ブリットがいなければGEARSに入ることも、こんな危険な島を訪れることもなかっただろう。
 生きてて良かった――とシャーロットはしみじみと思う。生きているからこそ、大切なひとの温もりを、こうして感じることができるのだ。
 ブリットの体温をひとしきり堪能したところで、シャーロットは身体を離した。
「ところでブリットくん、他のみんなは?」
「どいつもこいつも重傷だよ。拠点に後退して、治療を受けてる」
 数々の激戦を乗り越えてきた第五小隊の面々でも、聖戦士を相手取るのは難しいらしい。連中となんとかまともに戦えるのは、隊長のブリットぐらいだという。
 やはりこの戦いは、一筋縄ではいかないということだろう。
 しかめ面のブリットに、シャーロットは「そっか……」とため息をついた。
「そもそも第五小隊ウチは、ポロ・ウパシでだいぶ消耗しちゃってるもんね……。装備もコンディションも、万全にはほど遠いし」
 シャーロットの言葉に、ブリットは「そうだな」と頷く。
 先だってのポロ・ウパシでとの戦いの折、シャーロットたち第五小隊は壊滅的な被害を被っていた。斥候任務を請け負っていた第五小隊は、あの地で突如目覚めた首領級――歩嶽ふがくの先制攻撃を受け、人員や装備の大半を失っていたのである。
 そしてそのまま、ろくな補充も受けられない状態で、第五小隊はこのグラウンド・ゼロを訪れることとなってしまった。GEARS全隊の合同作戦ということで、他の隊と足並みをそろえる必要があったのだ。
 その挙句にこんな激しい戦いに巻きこまれてしまったのは、不運だとしか言いようがないだろう。
 しかしブリットは、達観した表情を浮かべている。
「まあ、今さら文句を言っても仕方ねーだろ」
「そうだけど……」
「俺たちGEARSは王都の希望なんだ。いついかなる場合でも、膝を屈するわけにはいかねーんだからな」
 ブリットが、いつもの仏頂面でシャーロットの肩に手を置いた。
「安心しろ、シャロ。てめえひとりくらいなら、俺が護ってやる」
 シャーロットは思わず「はう!?」と変な声を上げてしまった。
 このブリットという少年は、こういうところがズルいと思う。見た目に反して、言動があまりにも男らしいのだ。
 シャーロットは内心の動揺を悟られぬように、「こほん」と咳ばらいをする。
「え、ええっと……。他の隊はどうなってるのかな」
「正直、どこも芳しいとはいえねー状況だな」ブリットが眉間に皺を寄せる。「まだギリギリ持ちこたえられてるのは、各小隊のリーダー格ぐらいのもんだな」
 ブリットの視線の先では、細身の青年が聖戦士の集団を相手に戦闘を繰り広げていた。
 青年の身を包むのは、異国風の装飾が施された華美な戦衣だ。女性のように端正な顔だちとは対照的に、彼が振るう大槍は雄々しく猛々しい。
 あの青年は、第六小隊の隊長――「龍槍りゅうそう」ネヴィス・キオである。
 ネヴィスは、その二つ名通りの槍術の達人だと聞いたことがある。線の細い外見とは裏腹に、ドラゴンすら一撃で屠ることができるほどの槍の使い手なのだ……とか。
「〝龍旋風ドラゴンブレス〟!」
 風をまとったネヴィスの薙ぎ払いが、彼の眼前の敵を切り裂いた。大柄な聖戦士が呆気なく倒れるのを見て、シャーロットは「おお!」と目を輝かせる。
「さすがネヴィス隊長……! 龍槍は伊達じゃないね!」
「いや、どうだろうな」ブリットが顔をしかめる。「ネヴィスの龍槍は、本当はあんなもんじゃねーよ。本気なら、あんな敵、五秒とかからず始末できてたはずだ」
「それって……?」
「あいつも、相当消耗してるってことだ」
 ネヴィスをよく見てみれば、額には大粒の汗が浮かんでいるのが見てとれた。呼吸が荒々しい。疲労が蓄積しているのか、槍を振るうたびに肩を大きく上下させている。
 彼の背後には、そんなネヴィスの戦いを見守る第六小隊の隊員たちの姿があった。みな手ひどく負傷しているらしく、倒れたまま起き上がる気配もない。
 ブリットが「なるほど」と頷く。
「どうやらアイツ、仲間を庇いながら戦ってるみてーだな。あれじゃあ、攻めあぐねるのもわかる。ネヴィスの体力が尽きた時点で、全滅もありえるぞ」
「大変……! それじゃあ、早く助けに行かないと!」
 駆け出そうとしたシャーロットの腕を、ブリットは「待て」とつかんだ。
「シャロが行ってどうすんだよ。そのギア、オシャカになっちまってんだろ?」
 言われて「あ」と気が付いた。そういえばそうだった。シャーロットの魔砲杖は、今や鉄屑同然の代物なのである。
「悔しいが、俺も似たようなもんだ。この怪我じゃ、ネヴィスの足手まといになっちまうだけだからな」
「じゃあ、どうすれば――」
「あいつを信じるしかねーってことだよ」
 ボロボロの自分たちには、他の部隊を救援に行く余裕はない。
 落ち着いて見回してみれば、他の隊もどうやら同じような状況のようだ。第二小隊も第三小隊も、目の前の敵への対応に精いっぱいで、他に気を回している状況ではないらしい。
 ブリットが「ちっ」と舌打ちする。
「どの隊も、今はまだなんとか持ちこたえちゃいるが……このままじゃジリ貧だな。聖戦士どもに押され始めてる」
「そんな……! ど、どうしよう、ブリットくん!」
 もしかしたら、刻々と事態は最悪の展開へと向かっているのではないだろうか。
 このままではミスト源を探すどころか、GEARS全滅すらあり得る。なんとか戦況を一変させなければ、自分たちには未来もない。
 ブリットと一緒に、王都に帰ることすらできなくなってしまうのだ。
 焦るシャーロットの背を、ブリットがぽん、と叩く。
「落ち着け、シャロ。希望はなくもない」
「希望?」
「ひとつは第四小隊だ。あいつらなら、この局面をひっくり返せる可能性はある」
「第四小隊……。ああ、あの」
 シャーロットの脳裏に蘇るのは、リースラントの港で見かけた、変わった服装の少女である。地底生まれ地底育ちという、変わった経歴の持ち主だ。
 彼女は小柄な見た目ながら、誰も扱えなかった試作型ギア『ロータス』を軽々と使いこなしたと聞いている。入隊以来、破竹の勢いで戦績を上げているのだとか。
 なにせ彼女の実力は、ブリットも認めているのだ。彼が「荒削りだが、面白いヤツだ」と評価しているのを聞いて、シャーロットはほのかな嫉妬心を感じたこともある。
「それで、あの子たちは、今どこに?」
「別動隊として活動中だ」
「別動隊って?」
「俺も詳しく聞かされてるわけじゃねーがな。総隊長いわく、『第四小隊こそ今回の作戦の要』ってことらしい。なんにせよ、あの連中ならやり遂げてくれるだろーぜ」
 ブリットの口調には、第四小隊に対する強い信頼を感じる。悔しいけれど――あの少女たちならば、現在の膠着状態を打破することができるかもしれない。
「もうひとつの希望は、あいつらだよ」
 ブリットが指さしたのは、戦場の最前線だった。
 もっとも敵の密度の高い、過酷な場所だ。そこで聖戦士たちを一手に引き受けていたのは、 ヒヨコのエンブレムを身につけた部隊である。
 ぼろぼろに傷ついているにも関わらず、彼らの目には強い意志がみなぎっていた。聖戦士相手に一歩も退かず、彼らだけが着実に戦線を押し上げているのだ。
「あれって、クズナナ……!?」
 シャーロットは目を疑った。クズナナ――第七小隊といえば、厄介者や落ちこぼれだらけの、寄せ集め部隊だったはずだ。
 それがどうして、ブリットをして「希望」と言わしめているのか。どうして彼らだけが、こんな絶望的な戦況の中で士気を保っていられるのか。シャーロットにはわからない。
 もはや彼らは、自分の知る「クズナナ」とは全く違う部隊のようだ。
 視線の先では、浅黒い肌の隊長が、ナックル型ギアで「うらあっ!」と敵を殴り飛ばしていた。
「シエロ、後ろの敵の足止めを頼む!」
「足止めだけでいいんすか!? なんならブッ倒しちゃいますけど!?」
 答えたのはボーガンを手にした青年だ。彼は矢を連射しながら、聖戦士たちを的確に無力化していく。シャーロットと同じ年頃ながら、なかなかの腕前である。
 気付けばシャーロットは、第七小隊の果敢な戦いぶりから目を離せなくなってしまっていた。
「……毎度ああやって、絶体絶命の死地を乗り越えてきた連中だからな」
 ブリットが呟いた。
「そもそも、あの歩嶽フガクとの戦いのときにも、クズナナがいなけりゃ勝利は無かった。ここんところの奴らの成長ぶりは、GEARSの中でも群を抜いてるぜ」
「そうだね……。正直、びっくりした」
「あの第三小隊も、クズナナには一目置いてるらしいな。ギュスターヴの野郎も言ってたぜ。『今のクズナナを敵に回すのは厄介だ』ってな」
 彼らの戦いぶりを見ていれば、他の隊の隊長たちが気にかけるのも、なんだかわかる気もする。
 戦う強さがどうこうという問題ではない。彼らの強さは、意志力だ。彼らの戦いぶりからは、絶対に生き延びてやるという確固たる意志を感じる。
 クズナナの果敢な戦いぶりを見ていると、弱気な自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。「どうしよう」なんて泣き言を言っている場合ではない。
 あのひとたちみたいに、諦めない。生き残るためにやるべきことをやらなくちゃ――シャーロットの手は、自然とギアを強く握りしめていた。
 ブリットも同じように考えているのだろう。彼がクズナナに向ける視線にも、熱いものを感じる。
「聖戦士どもはバカ強ええし、数も尋常じゃねえ。GEARSにとっては絶体絶命の状況だ」
 ブリットは言葉を切り、「だけど」と続ける。
「そんな中でも俺たちがなんとか戦線を維持できているのは、ある意味、連中のおかげなのかもしれねーな」
 シャーロットは素直に「そうかもね」と頷く。
「ちょっと前までは、文字通りのお荷物部隊って感じだったのにね……。いつの間にか、クズナナがGEARSの中心になっちゃうなんて、びっくり」
「だな」ブリットが首肯する。「もう奴らを、軽々しくクズナナ呼ばわりするわけにはいかねえ」
「やっぱり、あのエース・オブ・エースのおかげなのかな」
 シャーロットの視界の中には、GEARS最強の隊員、トルナード・ヴェイルが戦う姿があった。彼女が握るギア『晴嵐』は、聖戦士たちを軽々と打ち払っていく。
 その美しくも荒々しい剣技は、何者をも寄せ付けぬ強さを誇っていた。シャーロットも思わず、見惚れてしまうほどである。
 トルナード・ヴェイルは、やはり別格だ。「化け物」と揶揄されるのも頷ける。
 彼女こそがクズナナを支える柱に違いない――。シャーロットはそう思っていたのだが、ブリットの考えはまた違うようだ。
「まあ、それもあるだろうが――」
 ブリットの視線が、第七小隊の先頭に立つ隊員に向けられる。
 剣型ギアを振り上げて果敢に敵に立ち向かっていくのは、シャーロットの見知らぬ隊員だった。そういえばクズナナには、奈落の谷の戦いで実戦投入されたばかりの新人隊員がいると聞いたことがある。
 あれが、その新人隊員なのだろうか。
「第七小隊の中核は、間違いなくあいつだよ」
 断言するブリットに、シャーロットは首を傾げた。
「あの新人さんが……? そんなに凄いの?」
「そうだな。聞いた話じゃ、初めての実戦でオーバードライヴを成功させたとか」 
「オーバードライヴを……!?」
 シャーロットは耳を疑った。
 オーバードライヴをまともに実戦で使いこなそうと思ったら、普通は数か月単位で訓練が必要になる。シャーロットなど、二年近くはかかったのだ。
 それをまさか、初めての実戦でものにしてしまうなんて――なんと凄まじい才能の持ち主なのだろうか。
「もちろん、ギアを扱う才能に優れてるってだけじゃねー。あいつには、周囲の人間を引っ張っていく力がある」
「引っ張っていく力? リーダーシップみたいな?」
「そういうのとはちょっと違う。なんつーか、人を成長させる力っつーのかな」
 ブリットの視線が、新人隊員を見つめている。
「現にあいつが第七小隊に入って以降、連中の雰囲気は一変した。ポロ・ウパシで久々に会ったときには、俺も驚いたぜ。なんたってあの人間嫌いのエース・オブ・エースが、他人とまともに会話をするようになってたんだから」
 シャーロットも「そういえば……」と同意する。
 トルナード・ヴェイルの戦い方も、以前とは違うものになっているような気がするのだ。
 かつての彼女は、ただ目の前のエネミーを機械的に切り刻むだけの戦いをしていた。しかし今では攻撃の中でさりげなく、仲間のフォローを考えた立ち回りを行っている。
 そんな変化をもたらしたのは、あの新人隊員なのだろうか。
 ブリットが呟いた。
「トルナだけじゃねえ。あのヘタレのシエロ・ラディオも、激情型のグランドーも、第七小隊の連中はみんな一皮剥けてやがった。それもこれも、あいつの影響なんだろう」
 件の新人隊員は、聖戦士の軍勢を相手に一歩も退かずにギアを振るっている。傍らで戦うエース・オブ・エースに勝るとも劣らない獅子奮迅ぶりだった。
「あの若さで隊の精神的な柱になれるってのは、なかなかできることじゃねえ。実に得難い人材だとも言える。ただ――」
 ブリットが何かを言いよどむ。
 彼にしてはなにやら歯切れの悪い態度である。シャーロットは気になり、「ただ、って何?」と問い返した。
 ブリットは「言いにくいんだが」と答える。
「あの新人隊員が精神的な柱になっちまってるからこそ、そこが第七小隊の弱点でもある。仮にあいつが崩れでもしたら、この戦線はどうなっちまうかわからねえな」
 まあ、そうならねえように祈るしかねーけどな――。ブリットの呟きに、シャーロットは一抹の不安を感じるのだった。

 光を帯びたノアートの剣が、周囲の一帯をなぎ払う。
「〝エンド・オブ・ナイツ〟!」
 強力なミストエネルギーを帯びた刃による、電光石火の水平斬りだ。
 間合いの内にいた聖戦士たちには、ノアートの剣から逃れる術はなかった。斬撃が彼らのローブを切り裂き、その半身を構成していた結晶体がもろくも砕け散る。断末魔の叫びが不協和音となって、周囲にこだました。
 危ないところだったが、なんとか敵の包囲を切り抜けることができたようだ。
 ノアートは「ふう」と息をつく。戦闘開始から小一時間、命がけの綱渡りの連続である。
 死線をくぐり抜ける緊張と高揚感で、ノアートの心臓は早鐘のような鼓動を刻み続けていた。敵の返り血と己の汗とで、全身がどろどろになってしまっている。
 ノアートの背後から、シエロが「やったな!」と声をかけてくる。
「一網打尽じゃねえか! だいぶ調子上がってきたみたいだな!」
「シエロのおかげだよ。援護射撃で時間を稼いでくれたから、コアをチャージする余裕ができたんだ」
 ノアートが言うと、シエロは得意げに「へへっ」と鼻を鳴らしてみせた。
「こういうのも、もう慣れたもんだよな」
「そうだね。大尉との特訓で、散々練習したコンビネーションだ」
『霧の翼』との戦闘が始まって、すでに一時間ほどが経過していた。その間、ノアートたち第七小隊は、最前線で休むこともなく敵の攻勢を凌ぎきっていたのである。
 疲労は溜まっているが、身体はじゅうぶんに動く。それどころか、剣を振るたびに感覚が研ぎ澄まされていくようだった。
 ボーガンに矢を番えながら、シエロが言う。
「最初にこの赤ローブどもの大軍勢を見たときには肝を冷やしたけどさ……。慣れさえすりゃあ、なんとか闘いようはあるもんだ」
 聖戦士たちは確かに強敵ではあったものの、決して対処できない相手というわけでもなかった。
 これもグランドーの特訓の賜物なのだろう。ノアートもシエロも、対人戦は嫌と言うほどに経験させられている。相手が人型だからといって、躊躇や尻ごみをすることはまったくないのだった。
「ああ、いつもと同じだ。なにも難しいことはねえ」
 グランドーの振るった正拳突きが、正面の聖戦士の胴体中央に叩きこまれる。敵はそのまま「ぐうっ」と呻き、仰向けに倒れた。
「こいつらは身のこなしが少しばかり速ぇだけだ。武器の使い方なんて素人同然。連携だって取れてねえ。落ち着いて動きを見切りゃあ、大したことはねえな」
「そうっすね。これなら訓練のときの大尉の方が、よっぽど怖かったっすよ。毎度毎度、ガチで殺気こもってましたし」
 シエロの軽口に、グランドーが「ふん」と鼻を鳴らす。
「そのおかげで少しはまともに戦えてんだ。感謝しとけよ」
「へいへい」
「王都に帰ったら、また特訓だな。今回の反省を踏まえて、対人戦闘訓練の量はこれまでの倍の量に増やしてやる」
 シエロは「マジっすか」と顔を引きつらせた。ウンザリとした表情を浮かべて、ミストコアの入れ替えを行っている。
 こんな戦場の最前線でも、彼らのやりとりは変わらない。ノアートにとっては、それがとても心強いことだった。
 トルナの方に目を向ける。どうやら、彼女の調子も普段同様のようだ。
「しょせんは数頼みの集団。私たちに、敗北する理由はない」
 そういいながらトルナは、手にしたギアで周囲の敵を三人まとめて斬り伏せていた。目にも留まらぬ音速の太刀フラッシュムーヴに、聖戦士たちはまるで反応ができていない。
 腰の通信機から『さすがお姉さま』と感心したようなため息が漏れ聞こえてきた。
 支援班員、エフェメラである。
『ああ、あの美しくも冷徹な技のキレ……。見ているだけで私、身体が昂ぶってしまいます。ああ、なんと罪深いのでしょう」
 彼女たち後方支援班は、海岸に設置された拠点から通信を行っている。物資の補給に救護、戦況の分析が彼女たちの任務なのだ。
『でも、不思議ですねー……』
 続けて通信機から聞こえてきたのは、アウラの呟きだった。
『トルナさんもあの赤ローブのひとたちも、身体の中にミストコアがあるっていうのは同じなのに……。どうしてこんなにハッキリと、力の差が出ているんでしょうかー……?」
 言われてみれば、アウラの疑問ももっともだ。
 あの聖戦士連中は確かに、そこらのミストエネミーとは段違いの強さを誇っている。他の隊員たちが対処に手間取るのもわかる。
 しかしそれでも、どうしようもない相手だとまでは思えなかった。これまでの戦いで培ってきた経験と戦術を生かせば、なんとかできるレベルである。トルナの圧倒的な強さと比べれば、二段も三段も落ちるだろう。
『あのひとたち、神に近づくためにコアを身体に移植したって言ってましたけど……。正直、神というにはほど遠いですよねえー……?』
『そんなの当然でしょう、アウラ』エフェメラがぴしゃりと言い放つ。『美しく気高いお姉さまと、あんな有象無象の赤ローブどもを一緒くたにするなんて、失礼にもほどがあります。お姉さまはこの世でもっとも素晴らしい存在なのですから。優れていて当然なのです』
『えー……。なんですか、その理屈……』
『要するに、トルナお姉さまこそが神だということですよ』
 エフェメラが、冗談っぽく鼻を鳴らす。
 トルナこそが神――。なぜかノアートには、そのフレーズに引っかかりを感じてならなかった。
 どうして気になってしまったのか。自分でもよくわからない。
 華麗に剣を振るうトルナの姿は、たしかに神秘的とすら言えるけれども――。そこでふとノアートは、ぼんやりとトルナに見惚れていただけの自分に気付き、慌てて首を振った。
 今は余計なことを考えてる場合じゃない。戦闘に集中しなければ。
 どちらにせよトルナは、これ以上もなく頼れる仲間なのである。ノアートにとっては、その事実だけでじゅうぶんなのだ。
『さすがですね、皆さん!』
 今度は、サニィの明るい声が響いてきた。
『皆さん、大変お待たせしました! ミスト源の位置が判明しましたよ!』
「おお! マジか!」シエロが表情を輝かせる。「そんでサニィちゃん、ミスト源はどこなの?」
『皆さんの現在地点から南東方向です! そちらに大きな岩山が見えませんか!?』
 サニィの指示する方向に目を向ける。
 深い霧の向こうに、うっすらと巨大な影が見えた。目をこらせば、ひときわ高い岩山が見える。
 王都ブリザイエンの宮殿と同じくらいの大きさだろうか。
「あの岩山に、ミスト源があるわけ?」
 シエロの問いに、サニィが「はい!」と力強く頷いた。
『あの岩山には、すでに第四小隊が潜入しています! 報告によれば、内部が空洞になっているとのこと! あの中に『霧の翼』の本拠地があるそうです!」
「あれが、教団の本拠地……』
 トルナの目が、厳しく眇められる。
 グランドーも「なるほどな」と頷いていた。
「聖地っつって崇めてるぐらいだからな。ミスト源そのものを自分たちの本拠地にしちまうってのも道理だろう」
「つまりあの岩山がゴール……。あそこまで突破できれば、GEARSの勝利ってことか」
 ノアートが岩山を見上げる。
 距離はそう遠くはない。あと数十人ほど聖戦士たちを蹴散らせば、あの岩山までたどり着くことができるだろう。
「おれたちなら、余裕で行けるな!」シエロが白い歯を見せる。「このままこいつらを蹴散らして、目的地に向かうだけ! 何にも難しいことは――!」
 そのときだった。トルナが唐突に、シエロに飛びかかったのである。
 いったいどうしたというのだろうか。
 突然突き飛ばされたシエロは、目を白黒させてしまっていた。後頭部を地面に強打し、「はぐうっ!?」ともんどり打っている。
「な、なにするんすか!? トルナさん!」
 トルナは応えなかった。ただ険しい表情で、じっと自分の肩口を押さえている。よく見れば、そこから夥しい血が噴き出しているではないか。
 鉄の矢が、彼女の肩を貫通しているのである。
 シエロもそれに気づいたのか、目を白黒させている。
「ト、トルナさん!? もしかして、おれを庇って……!?」
「トルナ!」
 駆け寄ろうとするノアートを、トルナは「大丈夫」と制した。
「このくらいの傷、なにも問題ないから」
 トルナは表情を変えず、肩口から勢いよく矢を引き抜いた。
 血液がぶしゅう、と派手に飛び散る。しかしそれも一瞬のことだった。まるで録画映像の逆回しのごとく、トルナの矢傷が、すさまじい速度で修復されていくのだ。
 数秒と経たないうちに、トルナの肩は最初から何事もなかったかのような状態へと戻っていたのである。
 瞬間治癒能力。トルナの体内のミストコアがもたらす異能である。
 グイーリン州で初めてこの力を目の当たりにしたときには、ノアートたちもだいぶ驚かされたものだ。今でこそ、見慣れた光景である。
 シエロは立ち上がり、トルナに頭を下げた。
「すみません、トルナさん」
 トルナは軽く首を振った。「気にしないで」ということだろう。
 仲間のために身体を張る。少し前のトルナしか知らない者からすれば、驚くべき行動だろう。事実、付近のGEARS隊員が目を丸くしている様子が窺える。
 しかしトルナの行動を興味深く観察していたのは、味方だけではなかったようだ。

「ほほう……」
 赤いローブの集団の中央で、目を細める少女がいた。
「霧の翼」の教主、アルトゥーラである。
「今のを見たか、ベリヒト。あの銀髪の女だ」
「ええ、見ましたとも」ベリヒトが深々と頷いた。「あの女性の治癒能力……あれは我ら聖戦士のもの。それも〝熾天使してんし〟クラスの完成度ですねェ」
 アルトゥーラが「ふむ」と眉をひそめる。
「〝熾天使〟クラスが、どうしてGEARSにいる?」
「おそらく、脱走者でしょう。八年ほど前に、この地から逃げだした小娘がいましたからねェ」
「なるほどな。ならばあの女は本来、『霧の翼』の所有物だというわけか」
 アルトゥーラがにやりと口の端を歪める。
「〝熾天使〟は、我らの悲願にとって必要な存在だ。返してもらわねばなるまい」
「行くのですか、教主様」
 ベリヒトに「ああ」と応え、アルトゥーラが鷹揚に歩き出した。その手に握るのは、彼女の身長よりも巨大な石杖である。
「アレの相手は、我でなければ務まるまい」
 歩き出したアルトゥーラに、周囲の聖戦士たちは恭しく頭を下げた。赤いローブの海が、彼女を中心に一斉に左右へと開いていく。
 アルトゥーラはその割れた赤い海の真ん中を、ゆったりとした歩調で進む。
 彼女の視線は、銀髪の女性にまっすぐに向けられていた。