最終章 第5話

「下がれ、我が戦士たちよ」
 凜とした少女の声が響いた瞬間、聖戦士たちは一斉に武器を収めた。つい今の今まで死闘を演じていたのが嘘であるかのように、ぴたりと闘いを止めてしまったのである。
 いったいなんのつもりなのか――。GEARS隊員たちには知る由もなかった。
 怪訝な表情を浮かべる隊員たちをよそに、聖戦士たちは揃って地に跪く。それはまるで絶対の上位者に対し、敬意を払うような仕草だった。
 そんな彼らの背後から、ひとりの少女が現れる。
「おい、あいつは……!」シエロが身構える。
 威風堂々とした面持ちでやってきた少女は、他でもない。聖戦士たちの首領にして『霧の翼』の教主、アルトゥーラである。
 肩に担いだ巨大な石杖は、その華奢な身体にはあまりにも不釣り合いなものだった。重量はおそらく、百キロ近くはあるだろう。
 あんな重そうな石杖を、アルトゥーラは表情も変えずに軽々と担いでいる。やはり、彼女も普通の人間でないのだろう。単純に筋力という点だけでも、他の聖戦士たちをあっさりと凌駕している。
 シエロがボーガンを構えながら、ごくりと息を呑む。
「あの子……連中のボスだよな。直々におれらを潰しに来たってことか?」
「見た目は小娘だが、得体は知れねえ。気をつけろよ」
 グランドーもまた、アルトゥーラの一挙手一投足に目を向けている。
 警戒しているのは第七小隊だけではなかった。見れば他の小隊の者たちも、固唾を呑んで赤ローブの少女の動向を見つめていた。
 アルトゥーラは、グランドーの前で足を止め、告げる。
「そこをどけ」
「ああ? てめえは――」
 グランドーが応えようとしたそのときだった。いつの間にか彼の巨体が、真後ろに吹っ飛ばされていたのである。
 何が起こったのか、ノアートにはまるでわからなかった。気がつけばグランドーは、ゆうに十メートルほど吹き飛ばされ、後ろの岩壁に叩きつけられていたのである。
「がはっ……!?」
「た、大尉!」
 シエロとふたり、慌ててグランドーの元へと駆け寄った。
 グランドーの口からは、大量の血液が溢れている。内臓が損傷しているのだろうか。苦痛に顔を歪めている。
 グランドーが「ちっ」と舌打ちしながら、よろよろと立ち上がった。
「あのガキ……! やってくれる……!」
「ほう。我が一撃を受けて、まだ息があるか」
 アルトゥーラが、どこか愉しそうに口元を歪めた。
 グランドーを吹っ飛ばしたのは、あの少女の攻撃によるものだったらしい。
 おそらくは、手にした石杖で打撃を放ったのだろう。あまりにも速すぎて、知覚することさえできなかった。
 グランドーに、防御の暇すら与えなかったのである。あのアルトゥーラという少女を、他の聖戦士たちと同列に考えてはいけないのかもしれない――。
 戦慄するノアートの耳に、「全員下がりなさい!」という声が響く。
 第三小隊隊長、ギュスターヴだ。
「すぐに安全圏まで待避を! この少女は危険すぎる!」
 彼は『処刑斧』を構え、アルトゥーラの前に立ちはだかった。グランドーが一撃で倒されたことで、一般隊員では手に負えない相手だと判断したのだろう。眼前の少女に向け、強く警戒の姿勢を取っている。
 しかし対するアルトゥーラには、まるで物怖じしている様子はなかった。
「ふむ、我を相手にひとりで来るか。その勇敢さは嫌いではないが……やはり、愚かだな」
 アルトゥーラが地を蹴り、手にした石杖でギュスターヴに殴りかかった。
 とっさに斧で防御を図ろうとしたギュスターヴだったが、それは叶わなかった。アルトゥーラの石杖が、『処刑斧』を完全に破壊してしまったのである。
「なっ……!?」ギュスターヴが目を見張る。
 これまで数え切れないほどのエネミーを屠ってきた『処刑斧』が、いとも容易く粉砕されてしまった。その事実に、彼も彼の部下たちも、一斉に息を呑んでいる。
「その魂に刻むがいい。これこそが本物の奇跡。本物の聖戦士の力よ」
 アルトゥーラの放った蹴りが、ギュスターヴの鳩尾みぞおちにめりこんだ。
 ギュスターヴは「ぐあっ」と苦悶の息を漏らし、その場に倒れ伏してしまう。
「う、嘘だろ……? ギュスターヴ隊長まで……」
 その場にいた誰もが、目の前で起こっている光景をにわかに信じることはできなかった。なにせものの数秒も経たないうちに、隊長クラスが二人も倒されてしまったのである。
 ほとんどの者が、微動だにすることができなかった。まるでその場に縫い止められたかのように気圧されてしまっている。
 ノアートですら、ギアを握る手が震えてしまっているほどなのだ。
 攻め手がまったく見えない。見た目は年端もいかない少女のはずなのに、なぜか巨大な壁がそこに立ちはだかっているような錯覚に陥ってしまうのである。
「蛇に睨まれた蛙、とはまさにこのことですねェ」
 アルトゥーラのやってきた方向から、ケタケタと嗤う男の声が聞こえてきた。あれは確か、ベリヒトという男だ。金属製の指先をカチカチと打ち鳴らしながら、こちらにやってくる。
「絶対者の存在を関知したそのとき、常人の脳は思考と行動を停止する。あなた方は、神にもっとも近い存在を前にして、あらゆる抵抗が無駄だと悟ってしまっているのですよォ」
 神にもっとも近い存在――そう言われて思わず納得してしまう。
 たしかにあのアルトゥーラという少女は、神々しいまでのプレッシャーを放っているのだ。これまで戦ってきた首領級など、足下にも及ばない圧迫感である。
 たったひとり動くことができたのは、GEARS最強のエース・オブ・エース、トルナだけだった。
「やらせないっ……!」
 トルナは一足飛びにアルトゥーラの懐に飛びこみ、剣を振りかぶった。
 迷いのない剣筋だ。これが他の聖戦士であれば、一撃で首を撥ねることができていたはずだろう。
 しかしアルトゥーラはやはり別格だった。石杖を巧みに回転させ、その握りの部分でトルナの剣を受け止めたのである。
「来たな。脱走者よ」
「脱走者……!?」トルナが眉をひそめる。
「そなたは本来、我らの所有物であるということよ」
 アルトゥーラはそのまま力任せに石杖を振り抜いた。
 がきん、と響く鈍い音。トルナが「ぐっ!?」と顔をしかめる。
 気づけば、トルナの剣は上方に弾き飛ばされてしまっていた。剣はそのままくるくると宙を舞い、地面に突き刺さる。
 とっさに手を伸ばしたトルナだったが、剣を手に取ることはできなかった。それより一瞬早く、アルトゥーラの振るった石杖が、トルナの身体を打ち払っていたのである。
 脇腹を強打されたトルナは、あえなく地面に倒されてしまった。整ったその表情が、苦痛に歪んでいる。
「な……この力……は……!?」
「これこそ、完成された聖戦士の力。そなたと同じ〝熾天使〟の力だよ」
 アルトゥーラは、地面に刺さったトルナの剣に手を伸ばした。柄を握り、おもむろに地面から引き抜く。
 トルナの剣――「晴嵐」の刀身は、アルトゥーラの手の中で青く輝いている。彼女はしばしの間、それを物珍しそうにしげしげと見つめていた。
「これがミストギア……。愚者どもが神気に抗うための、忌まわしき道具か」
「なにを……する……!?」
「なあに、せっかくの機会だ。試し切りでもしてみようと思ってな」
 言うなりアルトゥーラは、「晴嵐」を無造作に振るった。
 まるで夏場の通り雨のように、激しく血飛沫が舞う。

 鮮血が己の頬を濡らすまで、ノアートは目の前でなにが起こったのか理解できなかった。
 斬られたのはトルナだ。
 首筋から腹部に至るまで、上半身を縦にばっさりと斬られている。傷は深い。トルナの白く美しい戦衣が、赤黒く染め上げられていく。
「ふむ。そこそこの切れ味だな。厨房の包丁よりは良く切れる」
 アルトゥーラが満足げに笑みをみせる。彼女が手にした『晴嵐』は、べっとりと赤い血にまみれていた。
 トルナは一切の抵抗をみせず、仰向けに倒れた。無理もない。常人ならば明らかな致命傷なのだ。傷口からは、夥しい血があふれ出ている。
 彼女自身、己の身体に何が起きたのか把握できていないのかもしれない。その表情は、人形のように虚ろだった。
 アルトゥーラはそんなトルナを見下ろし、「ふん」と鼻を鳴らす。
「同じ〝熾天使〟といえど、力の差は明白だったな。我の足元にも及ばぬとは」
 トルナは応えない。いや、応えることができないのだろう。くぐもった声で苦しげに、「あ……ぐ……?」と声を漏らすだけだった。
「もうよい。そなたは何も考えず、本来の役目を果たすのだ。『霧の翼』の礎となるがよい」
 アルトゥーラは背後を振り向き、「ベリヒト!」と従者の名を呼んだ。
「ここまでの深手を負わせれば〝熾天使〟とて、容易には再生できまい。回収しておけ」
「ええ。教主様の御心のままに」
 ベリヒトがトルナに近づき、彼女の首筋に手を伸ばした。
 このままではいけない――。ノアートの心の中に警鐘が鳴り響きはじめる。ノアートは意を決し、前に飛び出していた。
「やめろ! トルナになにをする!」
「なにって、備品の回収ですよォ」
 ベリヒトが、その金属の指先でトルナの髪の毛をつかみ上げた。
「自分たちのものを自分たちの手で取り返して、何が悪いというのです? 本来この女は、『霧の翼」の聖戦士ですからねェ。罪深き脱走者なのですよ」
「脱走者……!?」
「そもそもあなた方だって、知っていたんでしょう? この女はまともな人間じゃない。自分たちとは住む世界の違う、『化け物』なんだって」
 ケタケタと嗤うベリヒトに、ノアートは「そんなことはない!」と力強く叫んでいた。
「力も過去も関係ない! トルナは大事な仲間だ!」
「まあ、あなた方がどう思おうと事実は変わりませんが」ベリヒトが、人を小馬鹿にしたように肩を竦めてみせる。「どちらにせよ、これは回収させていただきます。〝熾天使〟は貴重ですからねェ」
 まあ、多少壊れてしまったようですが――ベリヒトがそう呟くのを聞いて、ノアートの中でふつふつと怒りがこみ上げてくる。
 頭の中で蘇るのは、戦いが始まる前にトルナが見せた、たどたどしい笑顔だった。
 ――私は第七小隊ではじめて、人間になれたんだと思う。
 ノアートたちは、トルナの苦労を知っていた。彼女が、いかにして一生懸命、他人に歩み寄ろうと努力してきたのかということを。人を信じられなかったはずの彼女にとって、それは並大抵の苦労ではなかったはずなのだ。
 それなのに……この赤ローブたちは、トルナの築き上げてきたものを、すべて否定しようとしている。
 それがノアートには、許せなかった。
「トルナはモノじゃない! 人間だ!」
 激情の赴くまま、ノアートは地を蹴り、ギアを振りかぶる。
 まさかノアートが飛びかかってくるとは思ってもいなかったのだろう。ベリヒトは「ひいっ!?」と目を剥いていた。
「トルナを返せええええええええっ!」
 ノアートの振るった渾身の一撃は、しかし、ベリヒトには届かなかった。
 刃を阻んだのは、『晴嵐』だ。アルトゥーラがベリヒトの前に躍り出て、ノアートの斬撃を受け止めていたのである。
「魂の入ったよい一撃だ。だが――」
 アルトゥーラの剣が、ノアートのギアを弾いた。危ない――そう思ったときには遅かった。彼女は既に、ノアートの懐に入りこんでいる。
 すぐ次の瞬間、身体に焼け付くような痛みが走っていた。視界の中で大量に飛び散っているのは、鮮やかな赤。己自身の血液だった。
 アルトゥーラの剣が、ノアートの胴体を逆袈裟に切り上げていたのである。
「所詮はただの人間だ。神に刃向かうなど、愚行でしかない」
 少女の無慈悲な言葉が響く中、ノアートはあっけなく倒れてしまう。
 再び立ち上がろうとしても、身体が言うことを聞いてはくれない。流れ出て行く血は熱いのに、手足が石のようにどんどんと冷たくなっていくのだ。
 ――トルナ……ごめん。
 大切な仲間を救えなかった。己の情けなさに、視界がひどく滲む。深い後悔の中で、ノアートの意識は次第に闇に飲みこまれていくのだった。

 トルナには、眼前の光景を信じることができなかった。
 己の最も信頼していた仲間が――ノアートが血まみれで倒れている。すでに意識はない。生きているかどうかもわからない状態なのだ。
 トルナは深く責任を感じていた。ノアートがあんな姿になってしまったのは、他ならぬトルナを救うためだったのである。
 自分が今、どうしていいのかもわからない。頭の中がぐちゃぐちゃにこんがらがってしまっていて、泣けばいいのか、叫べばいいのかもわからないのだ。
「私の……私のせい、だ……!」
 頭の中が、茹だったように熱く燃え上がっている。思考のほとんどを占めるのはこれまでにトルナが感じたこともない、どす黒い感情だった。
 ――殺す。殺す。殺してやる……!
 大事な仲間をあんな目に遭わせた相手を、情け容赦なく蹂躙してやりたい。張り裂けるような悲鳴を上げさせたい。全身の細胞をバラバラに千切って、ひとつひとつを踏みにじってやりたい。
「許さない……お前たちは……絶対にっ……!」
 この感情はおそらく、「憎悪」というのだろう。
 言葉でしか知らない感情だったが、実際に感じてみて初めてよくわかる。
 心が黒く塗りつぶされていくのを放置するのは、ある種の快楽だ。それに抗うのは、百万の敵を斬り倒すよりも難しい。
 心臓が、どくんどくん、と異常なスピードで跳ねている。全身が灼けた鉄のように、高熱を帯び始めていた。
 どうやら、トルナの中で変化したのは精神だけではないらしい。どういうわけか、肉体までも変化を始めている。
 トルナの首をつかみあげていた男――ベリヒトが、明らかな狼狽を見せていた。
「まさか……この女……!?」
 まともに何かを考えていられたのは、そこまでだった。トルナの意識は憎悪という名の獣に、完全に喰われてしまったのである。