最終章 最終話

――もしかして、これが世界の終わりってヤツか?
 シエロ・ラディオは、死に物狂いで地面に這いつくばっていた。
 異変が起こったのは、聖戦士たちとの戦闘の最中である。突如、地面が爆発したかのような震動が起こったのだ。強烈な地鳴りと共に、極彩色の地面には、あちこちに大きな地割れが発生してしまっていた。
 さらに空には黒々とした雲が立ちこめており、大粒の雨と共に雷鳴が響いている。
 まるで天変地異だ。このグラウンド・ゼロに、何が良くないことが起ころうとしているようである。
 なんだかわからないが、こんなところで死ぬのはゴメンだ――。シエロは激しい震動の中、腹ばいになって身を守っていた。
 戦場は混乱を極めていた。周囲を見渡せば、もはや戦闘どころではない。敵も味方も、同様に逃げ惑っている。
「な、なんだ!?」「退避だ! 退避!」
「おお、神よ!」「冒涜者たちの存在が、神の怒りに触れたのだ……!」

 地震は数分ほど続いた後、ようやく落ち着きをみせた。
 収まった――シエロが安堵のため息をついたそのときだった。さらなる混乱をもたらすものが、岩山から姿を現わしたのである。
「おいおいおい……! なんだ、ありゃあ!?」
 岩山の側面部が、破裂したかのように砕け散った。色とりどりの岩石が飛び散り、そこから、巨大な何かがピンボールのように勢いよく飛び出してくる。
 現れたのは、赤黒い球形の物体だ。
 すさまじくデカい。岩山とほぼ同じくらいの大きさはある。着地した球体は、ずしんと轟音を上げ、地面にめりこんだ。
 あれはいったい何なのだろう。強い雨の中、シエロはじっと目を凝らした。
 球体の表面では、ヌルヌルとなにかが蠢いている。
 それは、無数の生物だ。
 人間もいれば、エネミーもいる。そのどちらともつかない形状の生物もいる。完全に一揃いの生物ではないものも多い。千切れた腕や脚、巨大な翼や尻尾など――生き物の一部だけが蠢いている様子も窺えた。
 それら全ての「部品」に、生気は感じられなかった。ぬるりぬるりと動いていても、生きているようには思えない。
「あれ全部、死体か……!? 人間とエネミーの死体が、ごちゃ混ぜになってやがる……!」
 まるで死体のミートボールだ、と、シエロは思う。あまりにも強い腐臭に、吐き気を催してしまいそうだ。
 傍らにいたグランドーが「あれを見ろ」と指をさした。
「肉塊の上の方だ。あの女がいる」
「あの女って……」
 グランドーの指さす方向に目を向ける。
 球体の中央部分をよく見てみれば、煌びやかな身なりをした金髪の少女の姿を見つけることができた。少女はまるで壁飾りの鹿の剥製のように、その上半身だけを他の死体の隙間から覗かせている。
 少女の顔を見た瞬間、シエロは「あっ」と声を上げた。
「あの子、連中のリーダーじゃないっすか!? 確か、アルトゥーラとかって……!」
「だな。『教主様』があそこにいるってことは、おそらく……あの肉塊も、教団絡みの存在ってことなんだろう」
 グランドーが、「ったく」とため息をついた。
 さきほどトルナに貫かれた腹の傷の応急処置は、すでに自力で済ませているようだ。なんとか戦闘はこなせるようだが、やはり顔色はあまり芳しくない。
「死体団子とは趣味が悪いぜ。連中、今度は何を企んでやがる」
「本当に企んでる……んですかね?」
 首を傾げるシエロに、グランドーは眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
「だって大尉。あのアルトゥーラって子、何かを企んでるようには見えないっすよ。むしろあれ、めちゃめちゃ苦しんでるような……」
 教主は苦痛に顔を歪めながら、懸命に叫んでいた。割れるような高いトーンで「アァァァアァァァ」と奇っ怪な悲鳴を上げている。
 あれで正気があるようには思えない。シエロにはなぜか、その声が悲しげに聞こえてならないのだった。
 ふと頭上から、冷たい声が聞こえてくる。
「――滑稽なものでしょう? あの小娘には、我が兵器の一部となっていただきました」
 慌てて声のする方を見上げる。すると、宙に浮いている物体が目に入った。
 よく見れば、それは人間だ。
 赤いローブを纏った男が、空中に静止しているのである。
「な……!? あいつは!?」
 男の腕――奇妙な形をしたその義手には、シエロも見覚えがあった。アルトゥーラに付き従っていた、痩せぎすの男だ。
 確か、ベリヒトという名だったか。
 そのベリヒトが、足場も何もない空中に立っている。しかもどういうわけか、その身体には雨粒ひとつ当たっていないようだ。
 ベリヒトは上空で仰々しく腕を組み、こちらを睥睨していた。
「あ、あいつ、飛んでる!? なんで!?」
 目を丸くするシエロの脇で、グランドーは「知ったことか」と冷静に呟いていた。
「あの連中に常識が通じねえってことは、もう痛いほど理解してるからな。いまさら死体団子やら空中浮遊やらで、ビビってもしょうがねえだろ」
「そ、そういうもんすかね……」
 この場でそんな達観に至れるのは、グランドーくらいのものだろう。他の隊の隊員たちは、突如現れた肉塊とベリヒトに怯え、すっかり右往左往している。
 ベリヒトは混迷の渦中にあったGEARS隊員を見下ろし、「くっくっく」と高笑いを浮かべていた。
「皆さん、驚かれているようでなにより。このデブリキメラを、手塩にかけて育てた甲斐がありましたよォ」
「デブリキメラだと? この死体団子は、てめえが造ったのかよ」
 グランドーが尋ねると、ベリヒトは「ええ」とあっさり頷いてみせた。
「哀れでしょう? これが神に近づこうとした者どもの、なれの果ての姿ですよォ」
 ベリヒトの言葉に、シエロははっと息を呑む。
「神に近づこうとした者どもって、まさか」
「皆さま方のお察しの通りですよォ」ベリヒトの唇が、醜悪に歪む。「デブリキメラのボディを構成しているのは、〝神気の洗礼タオ・フェ〟の課程で廃棄された、失敗作です。霧の恐怖から逃れるため、神に近づこうとしていた……分不相応な愚者どもなんですよ」
「愚者ども、だって?」
 シエロがデブリキメラを見上げる。
 デブリキメラの中央では、アルトゥーラが叫び声を上げ続けていた。よくよく耳を澄ましてみれば、叫んでいるのは彼女だけではない。周囲にひしめく他の死体も、「オオオオ」「オオオオ」と痛々しい唸り声を漏らしている。
 シエロはぐっと下唇を嚙んだ。彼らの声を聞いていると、胸が痛くなる。 
 この巨大な塊が形成されるまでに、いったいどれだけの生命が犠牲になったというのだろう。千や二千では足りないはずだ。もしかしたら万単位の生命が、このベリヒトという男に弄ばれたのかもしれない。
 彼らだって最初から、こんな姿にされることを望んでいたわけではないはずだ。純粋に、救いを求めていた者たちだったのだろう。
 なのに救われるどころか、今や死体団子の中で呻くことしかできない身体にされてしまうなんて――。
 シエロにはそんな彼らが、あまりにも不憫に思えてならなかったのである。
「こんな世界なんだ。おれだって、逃げちまいたい気持ちはわかる。でも……でもさ、これはあんまりじゃねえか……! このひとたちが……あのアルトゥーラって子が、いったい何をしたっつーんだよ!」
「何もしていませんよ。というか、何の利益ももたらさなかった、というべきでしょうか。どいつもこいつも、クソの役にも立たないゴミカス共でした」
 ベリヒトには、まるで罪の意識はないようだ。デブリキメラに視線を向け、高慢な笑みを浮かべていた。
「しかし、私には海より深い慈悲がありますからねェ。畏れ多くも神を目指したゴミカスどもを、こうして神々の兵器として再利用する。これこそ、救済だと思いませんかァ?」
「思わねえよ」グランドーが、ベリヒトを睨み付ける。「つーか、こんなデカブツを作り上げて、いったいどうする気だ。てめえは何を考えてやがる」
「なあに、私は単に、究極の兵器を作り上げようとしているだけですよ」
「なんのために」
「もちろん、戦いに備えるためです」
「戦い?」
「まあ、皆さまのような下等生物にはわからないことでしょうがねェ」
 ベリヒトは肩を竦めた。
「我々の世界――この空のずうっとずうっと向こうでは、日々激しい戦いが行われているんです。戦争に勝つための力は、いくらでも必要なんですよ」
 シエロは「はあ?」と首を傾げた。
 聞いていればこのベリヒトという男は、まるで違う世界から来た人間のような口ぶりではないか。何を言っているのか、わけがわからない。
「ただまあ、残念ながら」ベリヒトが、わざとらしく首を振った。「この状態では、兵器としてのデブリキメラはまだ未完成です。肝心のエネルギー源がありませんからねェ」
「エネルギー源?」
「ええ。体内に積んだコアだけでは、デブリキメラの巨体を動かし続けるのは難しい。このままではいずれ、自壊してしまいますからねェ。どうしてもあの〝死天使〟……。トルナード・ヴェイルが必要なんですよォ」
「トルナさん……!? なんでそこで、トルナさんが出てくるんだよ」
「彼女は特別製の聖戦士ですから。あの女の体内で覚醒したコアがあれば、このデブリキメラは無限に稼働することができる。永遠に敵勢力を殲滅し続ける、究極の破壊兵器へと変貌するというわけですよォ」
 ベリヒトが恍惚の笑みを浮かべた。
「さあ、あの女を渡しなさい」
 この男はトルナのコアを奪うことで、己の兵器を完成させようとしている。そんなことを許せば、トルナは無事では済むまい。
 ベリヒトを見上げ、シエロは吠える。 
「させるかよ、そんなこと!」
「ああ、シエロの言う通りだぜ」グランドーが拳を鳴らす。「トルナは俺の部下だ。頭ごなしに『渡せ』と言われたところで、素直に渡すかってんだよ。神の兵器だかなんだか知らねえが、その死体団子、俺がこの手でぶっ壊してやらあ!!」
 あれだけ巨大な敵を前にしても、グランドーに怯むそぶりはない。シエロにとっては、実に心強いことだった。
「滑稽ですねェ。身の程を知らぬ下等生物というのは」
 ベリヒトはにこやかな笑顔を浮かべたまま、ぱちんと指を弾いた。
 それに呼応するかのように、デブリキメラがブルルと身体を震わせる。すると、地面が再び大きく揺れ動いた。
 いったい何をする気なのか――身構えているシエロの背中に、強い痛みが走った。太い丸太で殴られたような衝撃だ。思わず「いぎっ!?」と声を上げ、前のめりに倒れてしまう。
 振り向いてみれば、地面から柱のようなものが生えていた。よく見ればその柱は、うねうねと動いている。デブリキメラ同様、生物の死体が凝縮されているようだ。
「しょ、触手……!?」
 どうやらシエロは、あの触手に不意打ちを受けたらしい。
 そのグロテスクな見た目と強烈な臭いで、その触手がデブリキメラの一部であることはすぐにわかった。触手は鎌首をもたげ、再びシエロに襲いかかってくる。
「う、うおっ!?」 
 シエロは慌てて地面を横に転がり、触手の攻撃から逃れる。
 危なかった。今の触手の体当たりで、つい今までシエロが横たわっていた地面に穴があいてしまっている。とっさに回避していなければ、穴があいていたのはシエロの胴体の方だっただろう。
「や、やべえぞ! この触手!」
 よくよく周囲を見れば、地面から生えている触手はその一本だけではないようだ。黒い触手が、あちこちから林のように乱立している。
 それらの無数の触手が、この場にいる人間たちに襲いかかっているのだ。
「くそっ、くそっ! こっちに来るなあっ!」
「あ、あああああ! う、腕、俺の腕があああああっ!?」
「おおお、おおお……! 神がお怒りになられている!」
 触手に貫かれた者もいれば、押しつぶされて圧死した者もいる。
 犠牲になったのはGEARS隊員だけではなかった。赤いローブの聖戦士たちも触手の襲撃を受けている。
 デブリキメラには、敵も味方もないのだろう。ベリヒトが「究極の破壊兵器」と表現するのもよくわかる。あれはただ、周囲のもの全てを破壊するために存在している物体なのだ。
 周囲からは悲鳴に混じって、ごきり、ぐちゃりと骨や肉が潰れる音が響いてくる。
 まるで屠殺場だ。今やグラウンド・ゼロは、無数の触手による蹂躙の舞台と化していたのである。
 超ド級にヘビィな状況だ――とシエロは思う。
 自分は言うまでもなくボロボロ。敵も味方も全員瀕死。頼みの綱のトルナやノアートは、後方の拠点で治療中である。
 こんな状況で、果たして自分たちは生き延びることができるのだろうか。
 シエロは「くそっ」と空中のベリヒトを睨み付ける。
「皆殺しにされたくなけりゃ、大人しくトルナさんを渡せってことかよ!?」
「いえいえ。そうは言っていませんよォ。皆さんが素直にトルナード・ヴェイルを差し出そうと、思うさま抵抗していただこうと、それは別にどちらでもいいことです」
「ど、どういう意味だよ!?」
「たとえ死天使の核が無くとも、デブリキメラは一か月ほど稼働し続けることができますからねェ。極端な話、このまま王都に攻め入って、壊滅させることすら十分に可能です」
「なんだって……!?」
「まあ、せっかくですからこの場でデブリキメラの性能を確かめておきたいと思いましてねェ。皆さんには、その実験台になってもらおうかと」
「実験台……!?」
「早い話、どちらにせよ皆さんにはここで死んでいただく、ということです」
 頭上のベリヒトは、ニタニタと笑みを浮かべてシエロを見下ろしていた。
「あなたたちを全員ブチ殺した後で、ゆっくりトルナード・ヴェイルから核を奪う。それでも構わないということですよ」
「させねえっつってんだろうが!」
 グランドーがナックルを振るい、触手の一本を殴り飛ばした。エネルギーを纏った強力な拳打により、触手が千切れ飛ぶ。
 さすがはグランドーである。シエロは「おお!」と目を輝かせた。
 しかし、その喜びはすぐに落胆に変わる。地中から三本、グランドーを取り囲むように新たな触手が顔を出してしまったのである。
 グランドーといえど、三本の触手を同時に相手にするのは至難の業らしい。三方向から繰り出される体当たりを回避し、「ちっ」と舌打ちする。
「面倒くせえ……! 一、二本潰したところで無駄ってことかよ!」
 これでは、本体に近づくことすらできそうにない。
 シエロの周囲にも、行く手を阻むかのように触手の群れが出現していた。
「くそっ、こいつら……!」
 迎撃のため、シエロはとっさにボーガンを構える。
 しかし、矢を番えている余裕はなかった。眼前の触手が鞭のように身をしならせたかと思えば、次の瞬間、シエロの身体はあっけなく宙を舞っていたのである。
「大丈夫か、シエロ!」
 グランドーの声が響く中、シエロは地面に背中を打ちつけていた。軋むような身体の痛みに「ぐうっ」と唸り声を上げる。
「こ、こりゃあ、何本か骨がイッちまったかな……」
「こいつらは俺が相手をする! てめえは下がってろ!」
「で、でも大尉……!? 下がるってどこに!?」
 触手はすでに、シエロやグランドーの周囲をとり囲んでいる。こちらから攻めるどころか、逃げ場すらないような状況なのだ。
 デブリキメラが咆哮を上げるたびに、触手は次々とその数を増やしていく。
 GEARSは今、逃れ得ない絶望に包囲されようとしていた。

 当然、苦戦をしていたのは第七小隊だけではなかった。
 シエロが少し離れた場所に目を向ければ、各小隊の隊長たちも、無数の触手相手に悪戦苦闘を強いられている。舞い散る雨と血の雫の中で、懸命にギアを振るっていた。
 第五小隊隊長、ブリット・ゼーヴァルトなど、すっかり血まみれの様子であった。片腕でギアを抱え、触手の群れから部下を守ろうとしている。
「ブ、ブリットくんっ……!」
 内気そうな少女が、ブリットの背後で目に涙を浮かべている。おそらくはブリットの部下なのだろう。怪我をしているのか、地面にへたりこんでいる。
「もういいよっ……! 私を置いて、逃げていいからっ……!」
「このくらい問題ねーよ、シャロ」
 それがブリットの強がりだというのは、見ているシエロにもわかった。
 ブリットはもはや、立っているのがやっとというくらいに疲弊しているのだ。それでも部下を守るために、必死で虚勢を張っている。
 楽器型のギアを振り回しながら、ブリットは声を上げる。
「おいネヴィス! てめえの方は、まだ闘れんのか!?」
「もってあと三分……くらいかな」
 答えたのは第六小隊隊長、ネヴィス・キオである。彼もまた深い傷を負っているのか、脚を引きずるようにして戦っている。無双の『龍槍』も、その刃先が欠けてしまっていた。
「さすがに、聖戦士たちとの連戦のダメージが大きいね……。こんな隠し玉があるって知っていれば、少しは温存できたんだけど」
「ああ、この状況はハンパねーな……。せめて部下たちを退却させるまで、俺たちの体力が保てばいいんだが」
 ブリットがデブリキメラを仰いだ。さすがの第五小隊隊長といえども、触手の数の多さに、すっかり辟易してしまっているようだ。
 GEARSの劣勢は明らかだった。
 もはやこの状況は戦闘ではない。デブリキメラによる一方的な殺戮にしか思えない。誰も彼もが、完全に気圧されていた。
 それも仕方ない、とシエロは思う。そもそも、潰しても潰しても無限に湧いてくる敵なんて、戦いようがないではないか。体力が尽きる前に、精神力が尽きてしまうだろう。
「――やれやれ、歯ごたえがありませんねェ」
 呟いたのは、頭上のベリヒトだ。まるで支配者を気取るかのように戦場を睥睨し、これ見よがしにため息をついている。
「これでは戦闘テストにもなりません。GEARSの力はその程度ですかァ? 瀕死のゴキブリだって、もう少し粘ってみせますよォ?」
「外道が……!」
 グランドーが上空を見上げ、舌打ちする。触手の攻撃を何度もその身に受けたせいだろう。この隊長もまた、身体じゅうが生傷だらけになってしまっていた。まだ致命傷を負っていないのが不思議なほどである。
 シエロとて、状態はあまり変わらない。ギアも身体もボロボロ。あまりにも多くの血を失い過ぎたせいか、すでに視界が霞みつつあった。
 気を抜けば倒れる。倒れてしまえば触手に殺される。今の自分にできるのは、敵を倒すことではない。とにかく矢を放ち、一分一秒でも生きながらえることだけなのだ。
 グランドーが触手と組み合いながら、声を張り上げた。
「おいシエロ、気ぃ抜くんじゃねえ! ここが正念場だ!」
「そりゃ、わかってるんすけど……!」
「てめえのジーサンだって命張ってんだ! 負けてられねえだろ!」
 近場で戦うホーライへと視線を送る。
 ホーライもまた、同様の苦境に立たされていた。「退いてはならぬ!」と果敢にギアを振るってはいても、明らかに押されている。肩で息をしている様子が痛々しい。
 無茶してんじゃねえよ――とシエロは思う。
 いかに歴戦の古豪であっても、寄る年波には勝てないはずだ。あれでは遅かれ早かれ、確実に命を落としてしまうだろう。
 大振りに振るわれた触手の一撃が、ホーライのギアを弾き飛ばした。無防備になったホーライは他の触手の体当たりをもろに受け、地面に膝をついてしまう。
「ジジイ!」
 シエロはとっさに駆け寄り、ホーライを抱き起こした。
「おいジジイ、大丈夫か!?」
「心配するでない……! 総隊長の儂が、この程度で倒れるわけにはいかぬからな……!」
 ホーライはそういうものの、今のこの老人に戦闘が続けられるとは思わなかった。先ほどの触手の攻撃により、右腕が折れたのだろう。ギアを握ることすらかなわないのである。
 シエロは「くそっ」と拳を握りしめる。
 時間が経過するたびに、ひとり、またひとりと倒れていく。まともにギアを振るえているのは、シエロやグランドーを含めて十名もいないくらいなのだ。
「圧倒的に手が足りねえ……。攻めるにしろ逃げるにしろ、みんな消耗しすぎてる」
「無茶なのは承知の上だ!」グランドーが、目の前の触手を殴り飛ばした。「本気であのデカブツに仕掛けるつもりなら、陽動と防衛にせめてあと二小隊……いや、三小隊ぶんの戦力は要る……! だが、無いものねだりをしたって仕方がねえんだ! そこは死ぬ気と根性でカバーするしかねえ!」
「つっても、そんな精神論でなんとかなるような状況じゃねえっすよ!」
 叫ぶシエロに、ホーライが「案ずるな…!」と告げる。
「絶望の霧に抗ってきたのは、我々GEARSだけではない。世界中が、此度の作戦の成功を望んでおる…」
「どういう意味だよ?」
「我らには、絆の力が残されているということじゃ…!」
 ちょうどそのときだった。
 戦場の後方、触手の群れの向こう側から、「突撃ぃっ!」という雄々しい雄たけびが響いてくる。
 聞き覚えのある声だ。やってきた人物の姿に、シエロは目を疑った。
「――今こそ、我らナハルの民の誇りを示すときだ! GEARSを援護せよ!」
 浅黒い肌の青年が、曲刀を手に叫んでいた。ターバンにくくりつけられた羽根飾りは、〝熱砂の鷹〟戦士長の証である。あの青年の顔は、シエロもよく覚えている。
 ナハルタブートの若き族長、アドムだ。
 引き連れた砂漠の民と共に、果敢に触手の群れに挑みかかっている。
 その光景に、グランドーが目を見張る。
「てめえら、どうしてここに!?」
「あなたがたが、我らの友だからだ!」アドムが叫び、答えた。「ナハルの民はいついかなるときであろうとも、友の危機には身体を張る! それが我らの流儀! 我が父シャリークの教えだ!」
「シャリーク……」
 グランドーの目が、ふっと細められる。
 部下を率いて戦うアドムの姿に、かつての好敵手の姿を重ねているのだろう。「立派になったじゃねえか」と、満足げに呟いている。
「グランドー、私は必ずあの日の約束ちかいを果たしてみせるぞ!」
 アドムの振るった曲刀が、触手を輪切りにする。まるで手練れのGEARS隊員のような剣さばきである。
「恐れることはない! 我らには砂漠の英霊たちの加護と、王都の友よりもたらされたミストギアがある!」
 アドムの力強い言葉に、〝熱砂の鷹〟の戦士たちが「おおおおおお!」と鬨の声を上げた。その数、五十名は下らない。
 いずれも新型ギアで身を固めた屈強な戦士たちだ。命知らずな勇敢さは、ナハルの民の気質なのだろう。触手の群れを相手に、まるで恐れることなく突っこんでいく。
「あいつら、やるじゃねえか……!」
 シエロがそう呟いた瞬間、「どぉん!」と爆発音が響き渡った。近くの触手が、爆撃を受けたかのように弾け飛んだのである。
 いったい誰の仕業なのか――きょろきょろと周囲を見回してみると、アドムたちとは反対側に、見知った少女の姿があった。
「よーし、一匹仕留めた!」
 ガッツポーズを取っているのは、ウパシコタンの少女、ノンノである。
 彼女もひとりではない。独特の装束に身を包んだ雪国の人々が、彼女と共に砲撃タイプのミストギアを構えている。

 シエロは目を丸くする。
「ノンノちゃんたちまで来たの!?」
「ウパシを守ってくれた礼だ! 今度はノンノたちが、GEARSに恩返しするぞ!」
 ウパシコタンの人々が構えたギアが、一斉に火を吹いた。激しい爆撃を受けた触手たちが、あっけなく千切れ飛んでいく。
 旧型ギアとはいえ、その火力は現行モデルに勝るとも劣らない。触手の群れは、次々と灰燼と化していくのだった。
「どうだ! 見たか!」ノンノが元気よく胸を張った。
 デブリキメラを前にしても、ウパシの民に臆した様子は見られない。「さあ、狩りだ」「今日の獲物は大きいよ」とギアに次弾を装填しはじめている。
 もともと彼女たちは、厳しい極寒の大地で生き抜いてきた民である。その精神はタフそのもの。なにしろ彼女たちはGEARSと共にあの災厄の化身・歩嶽フガクに挑み、これを自ら打ち破った猛者たちなのである。
 思いも寄らぬ援軍の登場に、シエロは呆気に取られてしまっていた。
「アドムたちだけじゃなく、ノンノちゃんまで……。いくらなんでも、ちょっとタイミング良すぎない?」
「ああ、最高のタイミングだ。まるで舞台劇の脚本だぜ」グランドーが、辟易したかのように鼻を鳴らす。「大方、これはヤツの仕業だろう」
「ヤツ?」
「アエスタス・レックス――GEARS最高の軍師様だよ」
 シエロは「なるほど」と頷いた。脳裏に浮かぶのは、あの金髪の美青年の理知的な笑みである。
 レックスの弄する神がかり的な戦術には、かつてシエロも助けられたことがあった。確かに彼なら、こんな状況を演出するのも容易いことだろう。
「あの野郎のことだ、教団が隠し玉を用意していることを、最初から予想してやがったに違いねえ」
 アドムらの後方、高台の上に目を向ければ、鎧を着こんだ青年の姿が見える。第一小隊隊長、アエスタス・レックスだ。
『――〝熱砂の鷹〟はそのまま前進! ウパシコタンの砲撃部隊を防衛しつつ、触手どもの撃破に当たれ!』
 通信機を通して、レックスの声が聞こえてきた。
『第一小隊は負傷者の救護を優先しろ! 〝王都の盾〟の名を、今こそ示すのだ!』
 どうやら第一小隊もこのグラウンド・ゼロを訪れているらしい。気高き獅子の隊章を付けた隊員たちが、レックスの指揮の下、傷ついた各隊隊員たちの救助に当たっている姿が窺える。
『ここまで戦線を維持したGEARS各隊に、私は敬意を表する! 君たちの繋いだ希望を、我々は決して無駄にはしない! 第一小隊総員、全霊をもって任務に当たれ!』

 レックスの檄を受け、第一小隊の隊員たちが「うおおおおお!」と雄たけびを上げた。
 第一小隊といえば、GEARSの発足以来、王都防衛の中核を担ってきたエリート部隊である。彼らがこんな最前線でギアを振るう姿を見たのは、シエロにとっては初めてのことだった。
「まさか第一小隊まで来てくれるとは……。世界中の戦力が大集合って感じだな」
「これでようやく、五分の戦いになるかどうかってところか」
 グランドーが、己の腕の傷に包帯を巻きつける。増援が来たというのに、彼の表情は厳しかった。
「だが、あのデカブツを倒すにはまだ一手足りねえ。ヤツが無限に再生するってんなら、それを上回る爆発力パンチがいる」
「そうじゃな」ホーライが頷いた。「せめて隊長格が全員戦闘可能であれば、突撃部隊を編成できたものを」
 ホーライの視線は、第三小隊へと向けられている。
 隊長ギュスターヴ・グレイシャーは、触手の攻撃を受け、膝をついてしまっていた。
「ぐっ……!」
 ギュスターヴは口元の血を拭いながら、眼前の触手を睨み付ける。予備の斧型ギアを手に、背後の部下たちを守ろうとしているのだ。
「さすがに〝処刑斧〟無しでは分が悪いか……!」
 ギュスターヴを見守る部下たちの中には、派手な身なりの少女の姿があった。第三小隊の副隊長、プリミール・デ・リュージュである。
 彼女自身も深手を負っているためか、普段のような余裕はない。すっかり憔悴したような表情で、ギュスターヴの背を見つめている。
「ちくしょう、よくもギュスターヴ様をっ……!」
 プリミールが、手にしたチェーンソー型ギアを強く握りしめた。しかし、そんな彼女自慢のギアも、手ひどいダメージを受けているようだ。刃の中程から、ぽっきりと折れてしまっているのである。
 あんな状態で戦闘を続けるなんて、いくらなんでも無茶だ――と、シエロは思う。
 しかしプリミールには、後退という選択肢はなかったようだ。
「この触手野郎! ぶっ殺してやるッ!」
 ギュスターヴが「待て!」と制止したにも関わらず、プリミールに止まる様子はなかった。
 シエロは「やべえ!」と息を呑む。彼女のギアはすでに、駆動部の光を失っているのである。ミストコアが有効に機能していないのだろう。
 あれでは、ただの鉄くずで殴りかかっているようなものだ。
「うらああああああっっ!」
 プリミールが、折れたギアを思い切り触手に叩きつける。
 がいん、と響き渡る鈍い音。しかしやはり、攻撃が効いている気配はない。
 触手は少し身を震わせた後、すぐに反撃に転じてきた。その全身を鞭のようにしならせ、横なぎにプリミールの身体を打ち据えたのである。
「んぐあっ……!」プリミールの表情が苦悶に歪む。
 まともな武器を持たない彼女は、もはや身を守ることすらできなかったのだ。あっけなく吹っ飛ばされ、ごろごろと地面を転がってしまう。
「う……ぐ……」
 プリミールが血を吐き、身悶える。
 あの強烈な一撃を受けてしまっては、何本か肋骨が折れてしまったとしても不思議ではない。今の彼女にはもはや、立ち上がる力すら残されていないらしい。
「ち……く……しょう……!」
 悔しげに身を捩るプリミールに、触手がにじりよってきた。とどめを刺すつもりなのだろう。
「危ねえっ……!」シエロが叫んだ。
 このままでは、プリミールが触手に叩き潰されてしまう。
 なにかと第七小隊に食ってかかってきた彼女だったが、根っからの悪人というわけではない。共にエネミーと戦い、苦難を乗り越えたこともある。こんなところで死なせるわけにはいかない。
 シエロは慌てて立ち上がり、ボーガンを構えた。援護射撃で、触手の気を反らせようとしたのだ。
 しかし矢を放とうとしたその刹那、驚くべきことが起こった。
「――下がって、プリミールさん!」
 弾丸のように、「何か」が横合いから飛び出してくる。
 その「何か」は猛烈な勢いで触手に激突し、触手を木っ端微塵に粉砕してしまったのである。
 いったい何が起こったのか。あまりにも速すぎて、シエロの目では捉えきれなかった。
 プリミールも同様に、呆気に取られているようだ。
「あぁ……!?」
「ふう。間に合った」
 呟いたのは、小柄な少女だった。
 シエロよりも年下だろう。意志の強そうな大きな目に、凛と引き結んだ桜色の唇。大きなリボンに、珍しいデザインの衣服を身につけている。手にしているのは、試作型テストタイプのナックル型ギアだ。
 触手を一撃で倒したのは、まさかあの女の子なのだろうか。
 シエロの脇で、グランドーが呟いた。
「あいつは……第四小隊の新人か。たしか、『根ノ國』のナギっつったか」
  第四小隊の新人については、シエロも耳にしたことがあった。グランドーですら取り回すことのできなかった試作型ギアを、軽々と扱ってみせた少女がいる、と。
 それが、あのナギという少女なのだろうか。
 シエロがぼんやりとそんなことを考えているうちに、新たな触手が出現していた。ナギを脅威と認識したのかもしれない。彼女を取り囲むように、ぼこん、ぼこん、と地面から現れたのである。
「ちょっとキミ、気をつけ――」
 シエロが口を開きかけたそのとき、ナギを襲おうとしていた触手の一本が、「ぱん」とはじけ飛んでしまった。
 シエロは「え!?」と目を丸くする。
 破裂した触手は一本だけではなかった。ナギを囲んでいた他の触手も、まるで針を刺された風船のように、次々に爆発していく。
「しょ、触手が爆発した!?」
「あのお嬢ちゃんの仕業だな」グランドーがふっと目を細める。「見えなかったか? それぞれの触手に超高速の連打をブチこんでる」
「ちょ、超高速の連打!? あの子がやったんすか!?」
「ああ、一瞬で十発……いや、二十発か。俺に見えたのはそこまでだ」
「ははあ……。あまりにも速すぎて、おれには爆発したようにしか見えなかったっすけど」
「さすがは『ロータス』ってとこか」グランドーが、どこか愉しげに鼻を鳴らす。「いや、本当にすげえのは、それを使いこなしちまってるあの嬢ちゃんの方だな」
 マジかよ、とシエロは唸る。
 あのナギという少女は、サニィとほぼ年も変わらないように見える。体格だって年並みだ。着ている服が珍しいのを除けば、ごくごく普通の、可愛らしい女の子に見える。
 いったいあの少女のどこに、触手の群れを一瞬で撃退するほどの力が秘められているのだろうか。ノアートしかり、最近の新人はすげえな――と、シエロは思う。
 プリミールも「嘘だろ」と目を剥いていた。
「あんた、いつの間にこんなに強く……!?」
 ナギは、「えへへ」と得意げに胸を張っていた。
「まあ、色々頑張ったから」
「色々?」
「とにかく、プリミールさんが無事で良かったよ」
 プリミールが「はん」と眉をしかめる。「こっちは助けなんか求めてないっつーの。だいたい、誰があんたみたいな甘ちゃんに――」
 何かを言いかけたところで、プリミールは「ったく」と後ろ頭を掻く。憎まれ口を叩いている状況ではないと思ったのかもしれない。
「まあいいや。礼は言っとく。この借りは必ず返すからな」
 ナギをひと睨みして、プリミールは立ち上がる。そうして彼女は、ギュスターヴの元に駆け寄っていった。
 そのときふとシエロの耳に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「――ちょっとナギ、大丈夫!?」
 ネコ耳帽子の女性が、岩山の方向から姿を現した。
 彼女が肩に担いでいるのは、ネコの手を模したファンシーな形状の斧型ギアである。それはシエロにとって、非常に懐かしいものだった。
「おお、ロゼじゃねえか!」
 ロゼ・スカーレットは、元第七小隊の同僚である。シエロにとっては、しっかり者の姉貴分だ。入隊当初、ずいぶん世話になったものだ。
 そういえば、今の彼女は第四小隊に在籍していると聞く。あのナギという少女と同じ部隊というわけである。
 ロゼの方も「ん?」とシエロに気づいたようだ。
「あー! シエロ! 無事だったの!?」
「まあ、ギリギリなんとかって感じだけど」
 ロゼは「へえ」と相づちを打ちながら、近くの触手を斧で殴り飛ばした。
「ヘタレなあんたが今まで生き残ってるなんて、超意外だね。てっきりもうくたばったか、良くて戦線離脱してる頃だと思ってた」
「あのね、おれだって日々成長してるの! ヘタレ呼ばわりはやめて!」
「はいはい。そりゃ悪かったね」
 ロゼは鼻で笑いつつ、手にした斧で触手の攻撃を器用に捌いていた。
 どうやら成長しているのは、彼女も同様のようだ。群れをなして襲ってくる触手に対しても、ロゼには微塵も恐れている様子はない。敵の体当たりをひらりひらりと器用に躱しながら、的確に斧の一打を加えていくのである。
 思わずシエロは「すげえな」と感嘆の声を上げていた。ロゼもロゼで、様々な修羅場をくぐり抜けてきたようだ。
 ナギもまた触手を殴り飛ばしながら、口を開いた。
「ロゼさん、知り合いなの?」
「まあね、昔のダチ」
 ロゼの斧が力強く地を叩き割り、色とりどりの岩石がはじけ飛んだ。付近の触手の群れは岩石の直撃を受け、一瞬の怯みをみせる。
「おーい、頼むよ、デュオ!」ロゼが背後に向けて叫んだ。
 背後から「了解です!」と声が聞こえてくる。
 その直後である。ロゼの背後から無数の真空の刃が飛来し、触手の群れを切り裂いたのだった。
 シエロは「おおう!?」と目を剥いた。凄まじい量の『カマイタチ』だ。これだけの数の真空の刃を一度に発生させるなんて、並のGEARS隊員にできることではない。
「いいアシストでした、ロゼ」
 ロゼの後方から、槍を手にした隻腕の青年がやってくる。
 無骨な額当てにツンツン髪。第四小隊の隊章を身に付けた、生真面目そうな印象の青年である。触手の群れを仕留めたのは、どうやら彼らしい。
「サンキュ、デュオ!」
 親指を立てるロゼに、デュオと呼ばれた青年が「ええ」と頷き返す。
「さすがにこのデブリキメラという兵器、一筋縄でなんとかなる相手ではないようですね。地上部隊の皆さんにも、かなりの消耗が見られる」
「ええっと、あんたは?」
 尋ねるシエロに、デュオは答える。
「俺は第四小隊の副隊長、デュオ・グランディスです。階級は少尉。……そういうあなたは、第七小隊のシエロ・ラディオですね」
「おれのこと、知ってんの?」
「ええ。愛用ギアはボーガン型の『グリンカムビ』。威力よりも速射力を重視したカスタマイズにより、エネミーの妨害や味方の援護に力を発揮していると聞いています。察するにそのミストコアの構成は――」
「デュオさん、呑気に喋ってる場合じゃないよ!」
 触手を殴り飛ばしながら、ナギが口を尖らせる。
 デュオも周囲に蠢く触手の群れを見回し、「そうでした」と首を振る。この男、思ったよりもマイペースなところがあるらしい。
「ともあれ」デュオは続ける。「この触手どもが厄介です。こいつらをなんとかしなければ、我々に勝利はない」
「んー、でもさ」ロゼが眉をひそめる。「このウネウネ、倒しても倒しても湧いてくるみたいよ。いくら倒してもキリがなさそうだけど」
「ええ。そうですね。どうやらこのデブリキメラも、その名の通り、例のキメラと同様の性質を有しているようですから」
「あんた、このデカブツのことなにか知ってんのか」
 シエロの問いに、デュオは「はい」と頷く。
「俺たちは以前、こいつのプロトタイプとでもいうべき人造エネミーと交戦しています。その個体は、周囲の生物を吸収し、再生と増殖を繰り返すという能力を有していました。察するに、このデブリキメラも同様の能力を備えているようです。この種のエネミーを倒すには――」
本体コアを叩くしかないってことだね」
 ナギが、デブリキメラの巨体を見上げる。
 凜としたその視線には、この場の誰よりも闘志がみなぎっていた。「よし」と頷き、両手のミストギアを構え直す。
「それじゃあ私、あのデッカイのをぶん殴ってくる」
「ぶん殴る!?」
 シエロは耳を疑った。周囲にはすでに数え切れないほどの触手が蠢いている。特にデブリキメラ周辺は、その密度が凄まじい。本体を守るべく、まるで黒い海のように波打っているのだ。
「あのウネウネ、どんだけいると思ってんだよ! 集中攻撃を受けたりしたら、いくらお嬢ちゃんが強くても、ひとたまりもねえぞ!?」
「それでも行かなくちゃ。『ぶっ壊せない壁なんかない』って、証明したいから」
 ナギが、ちらりと岩山に目を向ける。
 証明したい、とはどういうことなのか。シエロにはよくわからなかったが、彼女の言葉には確固たる強い意志が感じられた。
 GEARS隊員として、こんな相手を引き留めるのは野暮というものだろう。
「それに」ナギはくるりと背後を振り向き、ロゼとデュオを見上げた。「私は、ひとりじゃないからね」
「ええ、ナギさん。フォローなら任せて下さい」
「あたしたちが背中を守る。あんたは前だけ見て突っこみな」

 どうやらデュオもロゼも、このナギという少女には強い信頼を置いているらしい。彼らの視線には、なんの迷いもないようだ。
 なるほど――とシエロは思う。第四小隊も、つまりは自分たちと同じなのである。
 トルナやノアートと一緒なら、どんな状況でもなんとかなる。シエロがそう信じているように、彼らも心から互いを信じ合っている。
 だからこそ彼らは、あんな強敵にも立ち向かえるのだ。
 ナギは仲間たちに「よろしく」と頷き返し、まっすぐに触手の群れへと突っこんでいく。
 その姿は、さながら大波に挑む船乗りのごとき勇敢さである。触手の波は、ナギの小さな身体を飲みこむかのように四方八方から襲いかかった。
 しかし彼女は、まるで躊躇うそぶりもみせない。
「でええええいっ!」
 ナギの大振りのパンチが、前方から襲いかかる触手三体の身体を同時にぶち抜いていた。
「さすがだね、ナギ!」
「遠慮はいりません! そのまま前進してください!」
 ロゼとデュオはナギの背後を守るようにしながら、手にしたギアで触手を打ち払っている。
 実に息の合ったコンビネーションだ。見ているシエロも、思わず「すげえな」と口走ってしまう。これなら本当に、デブリキメラ本体のもとまでたどり着けるかもしれない。
 グランドーが「ほう」と口の端をつり上げた。
「やるじゃねえか、あいつら。大した練度だ」
「確かに。なんつーか、戦い慣れてるって感じっすね」
 シエロが頷き返すと、突然背後から「そうでしょ?」と得意げな声が聞こえてくる。
 振り返れば、トップハットを被った男がいた。
「なんたって、僕の自慢の部下たちだからね。これでも相応に場数は踏んでるよ」
 戦場には似つかわしくない、洒落たコートを身につけた男である。手にしているのはGEARS内でも珍しい、特注の傘型ミストギアだ。
 確かこの男の名は、アラシと言ったか。第四小隊の謎多き隊長である。
「あんた、いったいいつの間に……」
 呆気に取られるシエロをよそに、当のアラシはにっこりと頬を緩めている。
「地下での調査が一段落したからね。こっちに上がってきたわけさ」
「てめえの神出鬼没っぷりは相変わらずだな」
 グランドーは触手との戦闘を続けながら、アラシに問う。
「それで、有用な情報は手に入れたのか? お前ら、『霧の翼』の本拠地に潜入してたんだろ?」
「おかげ様でね。まあいろいろと」
「ミスト源はどうなった? ミストを止める方法はわかったのか?」
 アラシは「ああ――」と言いかけ、口をつぐんだ。
 なにか言いにくいことでもあるのだろうか。アラシは「まあそれより」と、デブリキメラの方に視線を向ける。
「まずは、あいつをなんとかするのが先でしょ。話はそれからってことで」
「確かにな。アレを止めねえことには、ミスト源を探すどころじゃねえ」
 グランドーが気合い一発、「うおらあっ」と目の前の触手を殴り飛ばした。触手は黒い体液をまき散らしながら、爆散する。
 ナギたち同様、グランドーもまだまだ戦意に溢れているようだ。腹を貫かれるほどの大怪我をしているというのに、タフなものである。
「すげえっすね、大尉」
「GEARS全隊揃い踏みの上、アドムやノンノたちもいるんだ。千載一遇のこの好機、無駄にするわけにはいかねえからな」
「そうだね。仕掛けるにはいい頃合だ」アラシが頷く。「ちょうど、お偉いさんも到着したみたいだし」
「お偉いさんって?」
「そりゃあもちろん、我らがプリンセスだよ」
 アラシが、すぐ背後に目を向ける。その視線の先、第一小隊の隊員たちと共に触手を蹴散らしながら現れたのは、毅然とした表情の女性だった。
 アップにまとめられたブロンド。真珠のような瞳に、薔薇色の唇。手にしているのは、華美な意匠の施された、芸術品のような長槍だ。
「ディ、ディアちゃん!?」シエロは思わず、素っ頓狂な声を上げていた。
 彼女の顔を、シエロはよく知っている。
 クラウディア・ヘイゼルバッハ・フォン・ヴァルクス。なんとヴァルクス王国第一王女が、最前線に現れたのである。

「なんでディアちゃんがここに……」
 シエロの呟きに、アラシが答える。
「元来、自ら武器を取って戦うのがヴァルクス王家の伝統だからね」
「ああ、そういや今の王様も、昔はGEARSと一緒に戦ってたって」
「自ら矢面に立ち、民と共に戦う……。あの子もだいぶ、王家の人間っぽくなってきたもんだよ」
 アラシはどこか微笑ましい様子で、クラウディアを見つめていた。まるで雛を見つめる親鳥のような視線である。
「姫様には、感謝をせねばな」ホーライが、ゆっくりと立ち上がった。「ナハルの民やウパシの民が救援に来てくれたのも、姫様の口添えがあってこそ。あの方のおかげで、希望は未だ潰えずにいるのじゃ」
「そうだったのか……」
 シエロは嘆息する。クラウディアもまた、自分たちの知らないところで苦労をしていたらしい。久しぶりに見た戦友の姿は、ますます凛々しくなっているように思えた。
「この程度の苦難に、屈してはなりません!」
 戦場に、彼女の厳かな声が響き渡った。襲いかかろうとする触手を槍で打ち払いながら、彼女は続ける。
「我々には、不屈の魂がある! この七十年間を生き延びてきた人間の底力を、あの怪物に示すのです!」
 地に伏していたGEARS隊員たちが、「おお!?」と目を見開いた。まさか王女自らが戦場に立つとは思ってもみなかった――そんな表情である。
 しかしシエロにとってみれば、驚くことでもなんでもない。なにせあの王女様は、GEARS隊員としてギアを振るっていた時期があったのである。
 傍らのアラシもなにやら事情を知っているようで、「まったく、おてんばで困るよ」などと肩を竦めていた。
「……まったく、よくもまあ雁首だけは揃えたものです」
 ふと上空から、こちらを小馬鹿にしたような声が聞こえてくる。
 見上げればベリヒトが、含み笑いを浮かべながらこちらを見下ろしていた。
「しかし、そのような雑兵たちだけで神の兵器に勝てると思っているのですかァ? だとしたら、実におこがましいと言わざるを得ませんねェ」
「あなたは、あのときの!?」
 クラウディアが、ベリヒトを見上げて息を呑む。
「あの爆発の中で、生きているなんて……」
「ええまあ。その節はどうも」ベリヒトが、慇懃に頭を下げた。「クラウディア姫も、お変わりないようだ。こちらはあなたとあの小僧のせいで、身体の半分以上を機械化することになってしまいましたがねェ……」
 クラウディアとベリヒトとの間には、なにやら自分たちの知らない深い因縁があるようだ。
「どういうことなの、ディアちゃん」
「そういえば、シエロたちには話していませんでしたね。あの男は、かつて王家に弓を引いた大罪人……。そして、ウラガン大尉の死を辱めた男です……!」
「ちょ、え!? ウラガン大尉って……!?」
 シエロは思わず耳を疑った。
 ウラガンといえば、かつての第七小隊隊長である。入隊当時のシエロらを鍛えた恩人だが、その壮絶な最期を忘れることはできない。首領級との戦いの中、先走ったシエロたちを庇い、命を落としたのだ。
 あのときの衝撃は、シエロの心の奥底にトラウマとしてこびりついている。
 そんなウラガンの死を辱めた、とはいったいどういうことなのだろうか。
 グランドーもまた、「ああん?」と眉をひそめている。
「あの義手野郎が、俺のダチウラガンになにかしたってのか。……姫様、どういうことです?」
「その話は、必ずあとでいたします。今は、あの男を止めるのが先決です」
 クラウディアが、ベリヒトに槍の先端を向ける。
「あなたは……あなただけは、絶対に許さない! これ以上、私たちの世界を好きにはさせませんっ!」
実験台モルモット風情が、生意気な口を……。デブリキメラを止めたいのなら、お好きにどうぞ。お姫様に、やれるものならねェ」
 ベリヒトが、指先をカチカチと鳴らしてみせる。
 それに呼応するかのように、デブリキメラを構成している死体たちが、揃って「アアアァァァァァッ!」と咆哮を上げた。どうやらあの死体団子は、さらに触手の数を増やすつもりらしい。さらなる数の触手が、ぼこんぼこんと地中から頭を出しはじめたではないか。
 シエロがごくりと息を呑む。
「野郎、ますます活気づいてやがる……!?」
 触手の海が、さらに密度を増していく。こちらの逃げ場を完全に塞ぐつもりなのだろう。もはや視界の八割ほどが、黒い軟体生物で覆われている始末である。
 まさかデブリキメラは、GEARSを援軍もろとも触手の海に飲みこむつもりなのか。
「怯むなあっ!」ホーライが剣を振り上げ、叫んだ。「姫様が与えて下さったこの好機、無駄にするわけにはいかぬ! 苦難を超えて結ばれた絆の力を、今こそ示すときだ!」
 ホーライの声に呼応するかのように、各所で「おおおおっ!」と力強い声が上がった。ボロボロになっていたはずのGEARS隊員たちの目にも、再び力が戻り始めていた。
「総隊長の言うとおりだ! 俺たちの手で、この世界を救うんだ!」
「あんな肉団子ごときに、膝を屈している場合ではない!」
 生き残った隊員たちがギアを強く握りしめ、触手に立ち向かう。叩かれても身体を貫かれても、なお彼らは怯まない。
 無傷な者などひとりもいなかった。それでも皆息を荒らげながら、決死の表情でギアを振るっている。
 まるで誰も彼もが、自分の命を削りながら戦っているかのようだった。
「――〝龍爪斬ドラゴンクロー〟ッ!」
 第六小隊隊長、ネヴィス・キオの振るう槍が、眼前の触手を微塵に切り裂いた。敵を見据える彼の目には、闘志の炎が燃え上がっている。
 隣で戦うブリットが「へえ」と目を丸くする。
「まだそんな力が残ってやがったか」
「頼れる増援が来てくれたからね。たとえ僕が倒れても、部下たちは助かる。あとはもう、安心して命を燃やせるってわけさ……!」
 そういう間に、ネヴィスは次々と触手を仕留めていた。
 シエロは思う。本来のネヴィスは防衛戦ではなく、今のような戦い方――すなわち、槍のリーチを活かした対多数戦闘の方に秀でているのだろう。
 つまりあの戦い方こそが〝龍槍〟の真骨頂というわけだ。
「こいつは俺も負けてられねーか」ブリットがギアを腰だめに構えた。「砂漠や雪国の連中もいるんだ。GEARSの底力ってヤツを、少しは見せておかねーとな」
 ブリットの周囲の触手たちが、一斉にその動きを止める。ブリットの弦楽器型ミストギア『ラウドノーツ』から発せられた音波が、デブリキメラの神経に作用したのだろう。
「どうだ、死体野郎! こちとら、てめーらの仲間入りをするつもりなんざ、さらさらねーんだよっ……!」
 ブリットが、傷だらけの顔で啖呵を切った。
 彼らが限界を超えてでも戦い続けていられるのは、決して増援のせいだけではないだろう。クラウディアやホーライら、本来後方で守られるべき人間が、自ら最前線で武器を振るっているからだ。彼らの見せた勇気が、部隊の士気を十二分に高めているのである。
 どいつこいつも、やっぱすげえな――シエロは思う。
『ああ、ブリットくん。ちょっといいかな』
 アエスタス・レックスからの広域通信だ。視線を向ければ、彼はいつのまにか高台に設置された安楽椅子に座り、優雅に戦場を睥睨している。
 ブリットが「あん?」と眉をひそめた。
「なんか用かよ、軍師サマ」
『少し考えがある。君にはこれから、〝神気の社〟の内部に侵入してほしい』
「〝神気の社〟……ああ、あの岩山か。なるほどな」
 ブリットは何かに気が付いたのか、にやりと笑みを浮かべた。
 彼の視線の先には、『霧の翼』の本拠地の岩山がそびえたっている。先ほど、デブリキメラが飛び出してきた岩山だ。
「まあ、任せとけよ」
 ブリットは、レックスの言葉通りに、部下の少女と共に岩山方向へと向かった。ふたりで触手の攻撃を打ち払いながら、慎重に接近していく。
 その背を見送りながら、シエロは首を傾げる。
「いったい何をするつもりっすかね」
「さあな」グランドーが肩を竦めた。「レックスの言うことなんざ、理解できた試しがねえ。だが、信頼する価値はあると思うぜ」
 それもそうか――と、シエロは触手たちとの戦闘に集中する。自分のような凡人に、レックスの権謀術数を推し量る術はない。彼の手腕を信じるしかないのだろう。
『第一小隊はそのまま、〝熱砂の鷹〟と共に岩山方向へ前進。……ああ、いいね。その位置だ。そこでしばらく、敵を引きつけてくれたまえ』
 通信機越しに、レックスの落ち着いた声が聞こえてくる。その声色に戦場独特の緊張感はない。まるでうららかな昼下がり、王宮の庭園でチェスでも指しているかのような穏やかさである。
『よし。〝神気の社〟に入ったか。では頼むよ、ブリットくん。第一小隊各員は、耳を塞いでいるように』
 レックスがそう告げるや否や、岩山の方から「ギュウイイイイイイン!」と耳をつんざくような音が響き渡った。
 するとどうしたことだろう。岩山の周囲で蠢いていた触手の群れが、一斉にその動きを止めてしまったではないか。数百本もの触手たちが、枯れた朝顔の蔓のように、へなへなと地面に倒れてしまったのである。
 シエロは「今のは……!?」と息を呑む。
 音の正体は、第五小隊隊長ブリットの有するギア、『ラウドノーツ』によるものだろう。さきほどと同様、デブリキメラの神経に作用して、触手の動きを束縛したのだ。
 しかし不思議なのは、その音波の効果範囲である。
 先ほど見ていた限りでは、せいぜい半径五メートルほどの相手にしか効果はなかったはずなのだ。しかし今の音波攻撃は、どう見てもその範囲を遙かに超えている。軽く半径百メートル以内の触手たちが、完全にダウンしてしまっているのだ。
 いったいレックスたちは、どんな魔法を使ったというのか。シエロが首を傾げていると、アウラからの通信が聞こえてくる。
『あれはたぶん、音の反響を利用したんだと思いますー……』
「反響?」
『あの岩山の内部は、教団施設として空洞になっていますから……。空洞内部で音波を反響させて、振動エネルギーを増幅させたのかとー……。ちょうどさっき、あのデブリキメラが出現するときにあいた横穴が、上手い具合に音の出口になっているみたいですねー……』
 アウラの説明に、シエロが「へえ」と感心したように頷いた。
「やっぱすげえな、あのひと。偶然にできあがった地形すら、武器として利用しちまうなんて」
『ええ、本当に』エフェメラが首肯する。『さすがGEARS史上最高の軍略家と言われるだけのことはあります。シエロさんにも爪の垢を煎じて飲ませたいくらいですね』
「どういう意味っすか!」
 シエロが頬を膨らませていると、突然背後から、「危ねえ! 避けろ!」という声がかけられた。
 叫んでいるのはグランドーだ。彼には珍しい、必死な形相をシエロに向けている。
「え……!?」
 気づけばシエロのすぐ背後に、巨大な触手が出現している。
 シエロは思わず、尻餅をついてしまった。もはや防御も回避も不可能だ。触手はもう、ほんの目と鼻の先まで迫っている。まばたきひとつしている間に、シエロの身体は叩き潰されてしまうだろう。
 嘘だろ、これで終わりなのかよ――シエロにできたことは、歯がみすることだけだった。
 そのときだ。
「――やらせないっ!」
 シエロの背後から、聞き慣れた声がした。
 次の瞬間、視界いっぱいに激しい火柱が迸った。高出力のミストコアが生み出した、熱エネルギーの奔流である。
 シエロに襲いかかろうとしていた触手は、炎に呑まれ消し炭になった。
 日々の訓練で、何度も目にしてきたからわかる。この火柱は、剣技〝バスタートーチ〟によるものだ。あいつのお気に入りの技である。
「ごめん、遅くなった」
 炎を纏った剣の使い手が、にっと唇をつり上げる。
 その笑顔を見て、シエロはほっと胸をなで下ろした。驚いたことに、先ほどまで感じていた恐怖は、きれいさっぱりなくなっているような気がした。
 この後輩の存在は、シエロが自分で思っているよりもずっと、己の精神的な支柱になっていたということだろう。
「ったく、ようやく来やがったか」
 シエロは額の汗をぬぐい、ノアートが差し出す手を取った。

 砲撃を連続で放ちながら、ノンノが叫んだ。
「後ろから援護するぞ! 遠慮なく突っこめ! ネッサーノタカ!」
「ああ、感謝する!」
 ノンノの独特なイントネーションに苦笑しつつ、アドムが曲刀を振るう。
 あの曲刀、見た目はレトロでも、エルツィオーネ・ローレン謹製の新型ギアなのだ。アドムの目の前の触手は、バターのように軽々と切断されてしまった。
 すごい光景だ、とノアートは思う。
 デブリキメラを打倒するべく、様々な人々が手を取り合って戦っている。あれだけ巨大な怪物が相手だというのに、彼らは果敢だった。GEARSを救うために、その身を盾にして戦ってくれている。
「だったら今度は、こっちが報いる番だ」
 ノアートは、手にしたギアの柄を強く握りしめる。
 デブリキメラを操る黒幕――ベリヒトの目的がトルナの奪取にあるというのは、通信を通して知っている。
 トルナをあんな男の好きにさせるわけにはいかない。なんとしてでも、この場でデブリキメラを破壊しなけばならないだろう。
 襲い来る触手をボーガンで牽制しながら、シエロが尋ねる。
「つーかお前、身体は大丈夫なの? さっきは相当やばい状態に見えたけど」
「エルがくれたギアのおかげでね。なんとか戦える」
「そっか……。でも無茶はするんじゃねえぞ。ちょっとでもヘビィだと思ったら、すぐに下がっとけ」
 自分だってボロボロのくせに、ノアートを心の底から心配してくれている。シエロという男は、こういうところが〝いいヤツ〟なのだ。
 ノアートは「わかったよ」と頷く。
「それで、トルナさんは?」
「ええと……まだ、意識が戻らない」
 正確にいえばトルナは現在、生死の境をさまよっている。体内のコアが暴走状態にあるせいで、予断を許さない状況なのだ。
 しかし、それをシエロに告げるのは躊躇われた。今は、自分たちが生き延びられるかどうかの瀬戸際なのである。この底抜けに優しい男に、不要な心配をかけたくはないと思ったからだ。
 だからノアートは、「大丈夫」と頷いておくことにした。
「心配しないで。トルナのぶんも戦うから」
「まあ、あんま気負いすぎるなよ。今はほら、頼りになる連中も助けに来てくれてるわけだしな」
 確かに――とノアートは思う。
 第一小隊隊長レックスの指揮のもと、GEARS、熱砂の鷹、ウパシコタンの連合部隊は着実に触手を追い詰めていた。戦場を覆っていた黒い触手の面積が、次第に小さくなっていくのがわかる。
 これならもうすぐ、デブリキメラ本体を叩けるかもしれない。
 その一方、頭上のベリヒトは、なぜか愉しげな表情を浮かべていた。
「なるほどなるほど……。烏合の衆というわけではないということですか。侮っていましたが、なかなかやるものですねェ」
 己の戦力が着実に削られているというのに、ベリヒトは平静を崩していない。まるで値踏みするかのような視線で、こちらを見下ろしている。それがノアートには、不気味に思えてならなかった。
 傍らのグランドーも、「気をつけろ」と身構えている。
「あの余裕……ヤツはまだ、なにかを隠しているに違いねえ。デカブツから目を離すなよ」
 上空のベリヒトが、「くっくっく」と忍び笑いを浮かべる。
「神の兵器がこんなものだと思われてしまうのも心外ですからねェ。そろそろ皆さんには、デブリキメラの神髄を見せて差し上げましょうか」
 ベリヒトがその指先を、カチンカチンと打ち鳴らした。するとどうしたことだろう、デブリキメラがその巨体をグネグネと弾ませる。
「アァァァァァアァァァァァァ!!」
 デブリキメラの身体から、もやもやと黒い煙のようなものが立ち上った。煙はどうやら、あの巨体を構成する死体の隙間から漏れ出ているようだ。
 シエロが首をかしげた。
「なんだ、あれ?」
「さあ。深呼吸でも始めたのか――」
 ノアートが眉をひそめたそのとき、通信機からサニィの叫びが聞こえてくる。
『あ、あれは危険ですっ! 皆さん、すぐに離れてください!』
「危険って――」
 サニィに聞き返そうとしたノアートだったが、それは叶わなかった。
 突如、予期しない異変が発生したのである。
 ノアートからさほど離れていない場所で、GEARS隊員がひとり、突然「がはあっ」と血を吐いたのである。
 ノアートは「え!?」と目を疑った。
 自分たちと同年代の若い青年隊員である。そこそこ負傷はしていたものの、まだ戦闘継続に支障はなさそうな様子だった。
 それがどういうわけか、敵の攻撃を受けた様子もないのに、突然吐血して倒れてしまったのだ。
 青年はもはや、地面から立ち上がることすらできないようだ。身悶えしながら、「げほっ、げほっ」と血の塊を吐き出している。
 あのような状態に陥った人間を、ノアートも何度か見たことがある。王都に暮らす者なら、誰でも知っている症状だ。
「あれって、ミスト症候群……!?」
『そうです! ミスト症候群です!』サニィが答えた。『あの黒い煙は、超高濃度ミストなんです! あれに巻かれると、ミスト症候群を発症しちゃいますよ!』
「いやいや、そりゃおかしいだろ!」シエロが声を荒らげた。「だっておれたち、ばっちりギアを装備してるんだからさ! ミストは、ギアが吸収してくれるはずだろ!?」
『いくら吸収っていっても、限度があるんです! あの黒いミストの濃度、計測器カウンターの数値は一千万を超えているんですよ!?」
「い、一千万!?」シエロが目を剥いた。
 前代未聞の数値だった。これまでの経験上、どんなにミストが濃い場所でも、せいぜい濃度は数万程度に収まっていたはずだ。このグラウンド・ゼロでさえ、十万に満たないくらいの数値なのである。
 それが突然、一千万ときた。文字通り、桁が違う。
『ミストコアの吸収限界を遙かに超えちゃってるんです! あれじゃあたとえ最新型のギアをフル装備していたとしても、一分と持ちませんよ!』
 サニィの言うとおりだった。
 黒いミストは風に乗って周囲に漂い、次々と人々を昏倒させていく。GEARS隊員も聖戦士も、ナハルの民もウパシの民も、みな逃れる術はなかった。地に膝をつき、苦しみに身悶えている。
 ノアートも同様だ。胸の当たりに激痛が走り、頭が割れるように痛い。呼吸するだけで体力を削られているような感覚に陥っている。
 これがミスト症候群の苦しみなのだろうか。まだ初期段階なのだろうが、立っているのがやっとという状況なのである。
「げほっ……!」
 グランドーが血を吐いた。「ちっ」と舌打ち混じりに、口元の血を拭う。
「こいつはやべえな。この場の全員が、ミスト症候群を発症してやがる……。逃げようにも、これじゃあ無理だ」
「じょ、冗談じゃねえぞ……! こんな馬鹿みてえな濃度のミストをばら撒きやがるなんて……!」
 シエロは歯を食いしばり、ベリヒトを見上げた。
 ベリヒトはこちらを見下ろしながら、その義手で「浅はかですねェ」と顎先を撫でている。
「あなた型がその玩具ミストギアを使いはじめて数十年、我々が何の対策もしていなかったとでも思うのですか? 私が産みだしたこのデブリキメラは究極の兵器ですからねェ。当然、あなた方の玩具を無効化する手段も折りこみ済み、というわけですよォ」
「ミストギアの機能を超えるミスト……なんて、理不尽な……!」
 さすがのクラウディア姫も、黒いミストには抗えないようだった。槍を杖代わりにして、なんとか姿勢を保とうとするので精一杯のようだ。
「理不尽……。ええ、あなた方から見ればそうでしょうねェ」
 ベリヒトがクラウディアを見下ろした。その口元は、醜悪に歪んでいる。
「ですが、これが自然の摂理なのです。草は獣に抗えない。獣もまた、より大きな獣には抗えない……。強者が弱者を蹂躙するのは、宇宙の真理なのですよォ」
 ベリヒトは両手を広げ、ゆっくり地上へと降下する。ベリヒトが降り立ったのは、クラウディアの目の前だった。
 苦しむ彼女の喉元に、ベリヒトはその義手の指先を突きつける。
「そういえば、久しいですねェ、この状況も」
「私を……殺すつもりなのですか」
「ええ。どのみち放っておけば死ぬでしょうが、前回の借りもある。やはり私が手ずから殺すべきでしょう。指導者であるあなたを殺したとき、他の下等生物どもがどれほどの絶望に染まるのか……私には、それが楽しみでならないのです」
 ベリヒトの義手の指先が、クラウディアの首筋に食いこんだ。首を絞め殺すつもりなのだろう。クラウディアが「うぐっ」と苦しげな声を漏らす。
「くそっ……なんとかディアちゃんを、助けねえとっ……!」 
 シエロがボーガンを構えようとするが、身体を蝕むミストのせいで、狙いが定まらないようだった。
 ノアートも含め、この場にいる者は誰ひとり、どうすることもできない。アドムもノンノも、苦しげに顔を歪めている。
 あのレックスですら、額に大粒の汗を浮かべているのだ。
「玉砕覚悟の特攻もさせてもらえないとは……戦術の練りようがない……! くそっ……!」
「いいや……まだだ。こんなところで、ヤツの好きにはさせない――」
 アラシが立ち上がり、仕込み傘型のギアを構えた。しかし、弾は出ない。度重なる戦闘のせいで、発射機構が弾詰まりを起こしてしまったのだろう。
 アラシは「ちっ」と舌打ちし、ベリヒトの元へと向かう。まさかあの傘で、殴りかかるつもりなのだろうか。
 グランドーが叫ぶ。
「おいアラシ、無茶すんじゃねえ!」
「今無茶しないで、いつするんだって話だよ……! あんな外道に、クラウディアを……やらせるわけにはいかない……!」
 すでに血まみれの身体であるにも関わらず、アラシの目には力がこめられていた。もはや精神力だけが、その足を動かしているのだろう。
 あの第四小隊隊長にとって、クラウディア姫というのはそれほど大事な存在だということだろうか。
 アラシはよろよろとフラつきながら、クラウディアの元へと向かう。
「どんな理不尽が降りかかろうと……僕たちはこの歩みを止めない……! 必ずこの手で、希望をつかみ取ってみせる……!」
「やれやれ、死に損ないが……。見苦しいですねェ」
 ベリヒトがデブリキメラへと視線を送った。
 その合図を受け、デブリキメラから触手が伸びる。伸びた触手は勢いよく、真っ正面からアラシに襲いかかった。
 とっさに傘を開き、防御を試みたアラシだったが、それは叶わなかった。傘ごと胸を触手に貫かれ、「ごぶっ」と血を吐いてしまう。
「ア、アラシさん!?」シエロが叫んだ。
 しかしアラシは倒れない。にいっと歯を見せ、ベリヒトを見据える。
「ま……まだまだ……。こんなものじゃあ……僕の笑顔は消せないね……!」
 アラシは胸を貫かれながらも、さらに前進を続けようとしているのだ。
 その意志の強さに、周囲の者たちはすっかり言葉を失っていた。これが、あのいつも飄々としていた第四小隊隊長なのかと。
 クラウディアの顔からは、すっかり血の気が失せていた。
「お兄様っ……!」
「大丈夫だ。クラウディア……。お兄ちゃんは、強いんだ……! こんなところで、死ぬわけがないだろう……!?」
 お兄様、お兄ちゃん――ふと、ノアートは彼らの会話に引っ掛かりを覚えた。
 まさかあのアラシという男は、クラウディア姫の肉親だったというのだろうか。気にはなるものの、今はそんなことを詮索している場合ではない。
「ああ、はいはい。ウザいんですよねェ、そういうの」
 ベリヒトが舌打ちすると、アラシの身体を貫いていた触手が、びくんと大きく跳ねた。アラシの身体を、高く宙に持ち上げたのだ。
「なにを、するのです……!」
 クラウディアの強い視線に、ベリヒトは「まあ見ていてください」と笑みを返した。
「こうするんですよォ」
 次の瞬間、アラシの身体は宙を舞っていた。まるで砲丸投げのように、軽々と触手に放り投げられてしまったのである。
 アラシの身体は岩壁に激突し、ぐしゃり、と鈍い音を立てた。
「ぐ……があっ……!?」
 アラシの喉から苦悶の声が漏れる。大量の血を失ってしまったせいだろう。アラシの顔は、すっかり土気色になってしまっている。
 あれではもう、立ち上がることすらできないだろう。
「嘘……! 嘘でしょう……。お兄様……!」
 アラシは最期の力を振り絞るようにして、クラウディアに目を向けた。
「だ、大丈夫だ……。希望はもう、すぐそこに――」
「お兄様! だめです! 目を開けて!」
 しかし、アラシは何も応えなかった。崩れた岩壁にもたれかかるようにして、ぴくりとも動かない。
「まったく、理解に苦しみますねェ」
 ベリヒトはクラウディアの首筋をつかみあげたまま、首を振る。
「ただ闇雲に突っこんできた挙げ句、無駄死にですか。あなた方下等生物は、本当に救いようもありません」
「無駄などでは……ありませんよ……!」
 息も絶え絶えに呟くクラウディアに、ベリヒトは「はあ?」と眉をひそめる。
「認めたくないのはわかりますがねェ。あの帽子の男は、結局あなたを助けられなかったのですよ。希望だのなんだのと、息巻いておいて――」
「いいえ……。お兄様は、確かに私を助けてくれました。確かに、希望はすぐそこにあったのです……!」
 そのときだった。
 どおおおおおん、と、島全体に響き渡るような爆音が鳴り響いたのである。
「なんだ、今の音……!?」
 いったい何が起こったのか。爆音はさらに、連続して鳴り響いている。
 ノアートが周囲を見回すと、デブリキメラに何やら異変が起こっていた。「イギイイイイイ」と苦しげな声を上げ、グネグネとその巨体を揺らしている。
 グランドーが「ああ」と目を細めた。
「なるほど……こりゃあ、あいつの仕業か」
「あいつ?」
 ノアートが首を傾げると、グランドーが「あれだ」と指をさした。
 デブリキメラの巨体のすぐ下に、リボンを付けた少女の姿が見える。両腕に装着しているのは試作型ギア『ロータス』だ。
 少女はそれを振りかぶり、デブリキメラに向けて思いっきり拳を叩き込んでいる。
 シエロが目を丸くした。
「ナギちゃん……! たどり着いてたのか!」

 ――見ててね、お父さん。今度は私が、お父さんを助ける番だから。
 そう言い残した少女を追い、ロック・シンドラーは地上へと続く階段を上っていた。身体は痛むが、今はそれよりもあのナギという少女が気になって仕方がない。彼女の言葉が、どうしても耳にこびりついていたのである。
 もしかしたら彼女は本当に、ロックの失われた記憶に関係があるのかもしれない。先ほどの彼女の決意のこもった表情を見ているうちに、ロックは自然とそう思えるようになっていたのだ。
 階段を登り切り、〝神気の社〟の大広間に出る。広間には大穴が開いており、外界とを隔ていたはずの壁も完全に崩壊していた。あのデブリキメラなる巨大兵器の仕業だろう。
 瓦礫を乗り越え、施設の外へ。そこでロックが目にしたのは、信じられない光景だった。
「アラシさんのくれたチャンス、無駄にはしないぃっ!」 
 山のように巨大なデブリキメラを、あの小さな少女が殴り飛ばしている。球体の直下から、突き上げるようにしてアッパーの連打を放っているのだ。
 その一撃一撃が、凄まじい威力を有しているのだろう。デブリキメラの巨体が、グラグラと左右に揺らいでいる。
「……は、ははは……!」
 ロックは思わず、笑みをこぼしていた。目の前の光景が、ひどく痛快なものに思えてならなかったのだ。

 聖戦士ですら息苦しさを覚えるような超高濃度の神気ミストの中、少女はただひたすらに拳を振るっている。己が血を吐くことなどお構いなしに、持てる力の全てであの巨大兵器を止めようとしているのだ。
 あんな巨大な怪物に身ひとつで立ち向かうなど、普通ならば正気の沙汰ではない。もはや勇敢を通り越して、馬鹿の領域だろう。
 しかしどういうわけか、そんな馬鹿一徹の拳が、ロックにはたまらなく心地いいものに映ったのである。
「いつの間にか、デカくなりやがって……」
 不思議と、そんな呟きが口をついて出てしまっていた。なぜかはわからない。まるでナギが振るう拳が、ロックの記憶の壁をもブチ壊しているような――そんな感覚だった。
 デブリキメラが、「ギギギギギィィィィ!」と苦しげな悲鳴を上げる。機能不全を起こしたのか、巨体のあちこちから噴出していた黒い霧が止まった。
「ははは! ホントに、やりやがった……!」
 そんなロックの笑い声が聞こえたのだろう。ナギがロックに目を向けた。
 彼女はそのままにっと唇を吊り上げ、親指を立ててみせる。
「ぶっ壊せない壁なんか、なかったでしょ?」
 ロックは「ああ」と頷いた。

 リボンの少女――ナギの拳が、黒いミストを止めた。
 さすがのベリヒトも、これは予想外だったようだ。「あのガキがァァァッ……!」と表情を歪ませている。
「最初からこれが狙いだったのか……! よもや、あの帽子の男の行動が陽動だったとは……!」
「お兄様は、ナギさんを信じていたのです」
 クラウディアが、ベリヒトを睨みつける。
「私も知っています。たとえどんな絶望が立ちはだかろうと、彼女の拳は、それを打ち砕くことができる、と」
 ナギの強烈な連打が功を奏したのか、デブリキメラはビクビクと痙攣を繰り返していた。
 どうやら、もはや黒いミストを発生させる余裕がなくなったようだ。先ほどまでよりも、いくぶん視界がクリアになったのを感じる。呼吸するだけで激痛が走っていた身体も、心なしか楽になったようだ。
「これなら、なんとか戦える……!」
 ノアートは、再びギアを握りしめる。
 シエロもグランドーも、他の隊員たちにも気力が戻っているようだった。それぞれゆっくりと立ち上がり、戦闘態勢を整え始めている。
「お兄様が繋いだ希望を、私たちは無駄にはしない……」クラウディアの視線が、ベリヒトを射すくめた。「観念しなさい。あなたの企みがなんであれ、必ず私たちが打ち砕いてみせる……!」
「うるさいんですよォ、この下等生物が!」
 ベリヒトが、ぐっと腕に力をこめた。クラウディアの表情が「ううっ」と苦痛に歪む。
「いちど黒い煉獄霧プルガトロンを破ったくらいで、調子に乗られては困りますねェ! デブリキメラには、無限の触手があるのですよォ!」
 ベリヒトが声を上げるや否や、彼の周囲に再び触手が出現していた。触手たちは互いに絡み合いながら、ベリヒトとクラウディアを包みこむ。
 まるで触手の檻だ。あれでは容易に近づくことはできない。
 ベリヒトは是が非でも、クラウディアの殺害を遂行するつもりのようだ。
「どのみち、あなた方はここで死ぬんです……! まずはあなただ、クラウディア……! まずあなたから血祭りに上げてさしあげましょう!」
「い……いいえ……! 私は、死にませんっ……!」
 首締めに必死に抵抗しながら、クラウディアは告げた。
「私には……もう一度……会いたいひとがいる……んですっ……! それまでは……絶対に、死ぬわけにはいかないっ……!」
「小癪な……!」
 ベリヒトが顔をしかめたそのときだった。
 その背後から、影が飛び出したのである。
「――ディアから、その手を放せええええええっ!」
 影が手にしているのは、黒い大剣だ。影は飛びこみざまに大剣を振るい、触手の檻を一刀両断に断ち切った。
「あなたは……!?」
 驚愕の表情を浮かべるクラウディアの眼前で、ベリヒトの義手が宙に舞っていた。触手の檻を切り裂いた影が、返す刀でベリヒトに一撃を加えていたのである。
 ベリヒトが「ぐ……ぬううう!?」と顔をしかめる。
「貴様、あのときの小僧ォォォ……! まさか、貴様も生きていたとは……!」
幽霊ゴーストは死なない。死んでも生き延びるんだ」

 大剣を手にしているのは、ノアートとさほど年の変わらない青年だった。
 身につけているのはかなり年季の入ったダークのロングコートだ。縫い付けられたニワトリの隊章は、かつての第七小隊のものである。
 解放されたクラウディアは、「げほっ」と咳きこみながら、青年を見上げた。彼女は驚きと喜びがない混ぜになったような、複雑な表情を浮かべている。
「ああ、ウェズ! 来て、くれたのですね……!」
「前に言っただろ! どんなことがあっても、必ずキミを守るって!」
 にっこりと目を細める青年に、クラウディアは足早に駆け寄った。ひと目をはばからず、強く抱きしめる。
 あの青年はクラウディアにとって、よほど大事な存在なのだろう。彼女の目には、大粒の涙が溢れている。
「おいおいおいおい! ウェズ!」
 クラウディアとは対照的に、シエロは興奮気味に鼻を鳴らしている。
「お前、今までどこで何してたんだよ! めちゃめちゃ心配してたんだぞ!」
「いろいろあってさ。『霧の翼』を追ってたんだ」
「なんでまた、ひとりで……」
「みんなを危険に巻きこみたくなかったんだ。おれ、あいつらがどれだけ酷い事をしてるのか、知ってたから」
 ウェズと呼ばれた青年が、声のトーンを落とした。
 彼が握っている大剣は、王都製の旧型のミストギアだ。幾度も激しい戦いをくぐり抜けてきたのだろう。あちこちに補修の痕が見られる。
 その黒鋼の大剣を見つめ、グランドーが「む」と眉をひそめた。
「そいつはウラガンの剣だな。そのコートも……。てめえ、そいつをどうした」
「あのひとは奈落の谷の戦いで、おれを庇ってくれたんです。それで……今際の際に、おれにこれを託しました。『本物の英雄になってみせろ』って」
 ウェズが、ぐっと剣の柄を強く握る。
 そんな彼の顔を見上げ、クラウディアが告げた。
「大丈夫……あなたは十分に英雄ですよ、ウェズ。やっぱりあなたは、私の見こんだ通りのひとでした」
「ったくだぜ」シエロが冗談っぽく鼻を鳴らす。「いつの間にか男らしい顔するようになりやがって。お前も大概、場数を踏んできたんじゃねえの」
「まあ、積もる話はいろいろあるけど――」
 ウェズが、大剣の先端をベリヒトに向けた。
「その前にまずは、こいつをなんとかする必要がある。そうだろ?」
 ベリヒトは切断された腕部を押さえ、「ぐうう」と呻いていた。その目には、先ほどまでの余裕はなかった。燃えるような怨嗟が渦巻いている。
「この下等生物どもめ! いい気になるなよ……! どうせ貴様らの玩具程度のエネルギーでは、デブリキメラを破壊することなどできないんだ!」
「だったら、なんだというのです!」
 クラウディアが、槍を構え直した。
 覇気のこもった声色で、ベリヒトに言い放つ。
「私たちの命は……私たちの世界は、私たち自身のものです! 誰かが好き勝手に操っていいものではない! たとえ神だろうがなんだろうが、私たちは断固として抵抗してみせます!」
「どうやら、貴様らには本物の神の力を見せてさしあげる必要がありそうですねェ……」
 ベリヒトが、壊れた義手を片手で拾い上げる。それを振り上げ、叫んだ。
「さあ、デブリキメラよ! 遠慮は要りません! その力の全てを振るい、下等生物共を踏みにじるのです!」
 デブリキメラが苦しげに、「アァァァアァァァァ!」と悲鳴を上げる。再びブルブルとその身を震わせ始めたではないか。
「いけない! 離れろ!」
 アラシが叫ぶとほぼ同時に、デブリキメラの身体から黒い霧が発生した。先ほどとは比べものにならない量の霧だ。グラウンド・ゼロ全体を真っ黒に染め上げるほどの勢いで、超高濃度ミストが噴出している。
『こ、これは、さすがにマズいですっ……!』
 通信機から聞こえてくるアウラの声は、いつにもまして深刻なものだった。
『あんなに濃いミストを摂取したら、ミスト症候群どころか一瞬で肺が壊死しちゃいます……! 一発で即死ですよ!」
「野郎……! マジで躊躇無く俺らを皆殺しにするつもりらしいな」
 グランドーが、いまいましげにベリヒトを睨み付ける。
 シエロは「まずい!」と声を荒らげていた。
「あのデカブツのすぐ側に、ロゼたちがいるんだ!」
「ロゼが!?」ウェズが眉をひそめる。
「ああ、このままじゃ第四小隊が全滅しちまう! なんとか助け出さねえと――」
 シエロが駆けだそうとしたそのとき、通信機から『こちらロゼ!』と元気のいい声が聞こえてくる。
 どうやらちょうど、渦中の人物から連絡が入ったようだ。
『こっちのことは心配しなくて大丈夫! あたしもナギも、それからデュオもイブキさんも、全員無事だから! 今、そっちに向かってる!』
「ああ、そりゃよかった」シエロが、ほっと息をついた。「でも、お前らの位置じゃ、あの黒いミストは直撃だったんじゃねえのか。いつの間に逃げたんだ?」
『いや、逃げたっていうか、助けてもらったっていうか』
「助けてもらった? 誰に?」
『トルナさんだよ。あのひとが、また私たちを助けてくれたんだ』
 突然出てきたその名前に、ノアートは耳を疑った。
 トルナは少なくともつい先ほどまで、後方の医療拠点で、生死の境を彷徨っていたのだ。決して戦場になど戻れる状態ではなかったはずである。
 ノアートが、デブリキメラのすぐ下方に目線を向ける。
 するとそこには確かに、トルナの姿があった。
 漆黒の霧の中央で佇み、デブリキメラをじっと見上げている。
「なにやってんだよ、トルナ……!」
 ノアートの疑問に答えるように、ロゼが続ける。
『さっきいきなり現れて、デブリキメラの前に立ちはだかったんだ。そしたら、黒いミストがどんどん薄くなっていって』
「なんだそりゃ?」シエロが首を傾げる。
『あたしもよくわかんないんだけど、そっちからも見えるでしょ。黒いミストは、トルナさんが食い止めてくれてる。なんていうか……その、まるで黒いミストが、トルナさんの身体に吸いこまれていってるみたいに』
 黒いミストが、トルナの身体に吸いこまれていく――。そんなロゼの表現に、ノアートは心当たりがあった。
『……とても単純な話なんだよ』
 ノアートの通信機から、冷ややかな声が聞こえてくる。
 フリエレン少佐だ。
『キミたちのギアに組みこまれたミストコアでは、あの黒いミストを吸収することはできない。ミスト濃度が高すぎて、吸収処理が追いつかないからだ』
「ああ、そいつはさっき聞いたな」グランドーが鼻を鳴らす。
『それでは、あの黒いミストを防ぐことはできないのか? いいや、そんなことはない。ミストコアのミスト吸収能力は、その発するエネルギー量に比例しているからね……。ただ単純に、より強力なミストコアを持ってくればいいだけの話なんだ』
 シエロがごくりと息を呑む。
「より強力なミストコア……それが、トルナさんの身体の中のコアってことか?」
「それはダメだ!」
ノアートは反射的に、声を荒らげていた。
「フリエレン少佐だって、わかってるんでしょう!? トルナは危険な状態なんだ! それなのに前線に送り出すなんて、トルナを殺すようなもんじゃないか!」
『僕だって止めたさ。でもね、これは彼女自身の願いなんだ』
「トルナの、願い?」
『みんなを助けたい、ってさ。目を覚ますなり、トルナくんはそう言ったんだ。あの子の意志の強さは、キミたちの方がよく知ってるだろ。残念ながら僕もジュビアも、彼女を止めることはできなかった』
 力づくじゃ勝ち目もないしね――と、フリエレンはため息をつく。
「つまり、なんだ。あいつは自分が死にかけてるくせに、ああやって俺たちの盾になることを選んだってわけか?」
 ふざけやがって、と顔をしかめるグランドーに、フリエレンは「いや」と首を振る。
「ただ単に盾になるだけじゃないよ。彼女は自分のコアを使って、あのデブリキメラを止めるつもりなんだ」
「なんだって? それってどういう――」
 シエロが言いかけたそのとき、ノアートはその場を駆けだしていた。
「おい、ノアート!? どうしたんだよ!」
「トルナを止めなくちゃ!」
 ノアートは、振り向かずにシエロに答えた。
 臨界状態のコア。首領級十体分のエネルギー――。さきほど医療拠点で聞いた単語が、頭の中を駆け巡る。ノアートには、これからトルナがなにをするつもりなのか、理解できてしまったのである。
フリエレンの言うことを信じるなら、こうしてはいられない。一分一秒が惜しいのだ。
「あの馬鹿……! 一緒に王都に帰るって、約束したのに……!」
 周囲に散らばる触手の残骸を踏み越えながら、ノアートは全速力でトルナの元に急ぐ。
 大切な仲間を、失うわけにはいかないのだ。

 トルナード・ヴェイルは「彼女たち」をじっと見つめていた。
 「彼女たち」はグネグネと蠢きながら、「アァァァアァァァァ」と奇妙な叫び声を上げ続けている。
 「彼女たち」は、いずれも教団に身体を好き放題に操られた実験体だった。放棄された後もあのベリヒトという男に利用され、途方も無く大きな死の塊――デブリキメラの一部として組みこまれてしまっている。
 塊の上部からこちらを見下ろしているのは、アルトゥーラという少女だ。
 教団のトップだったはずの彼女もまた、ベリヒトに利用されていただけの存在だったのだろう。自由も意志も奪われ、兵器の部品と成り果てている。
 あの少女たちが吐き出す黒い霧には、やるせない悲しみがこめられているように感じられるのだ。
 ――痛い。痛い。痛い……!
 再びトルナの脳裏に、声が聞こえてきた。
 熱に浮かされているせいだろうか。拠点で目を覚ましてからずっと、「彼女たち」の声が頭の中に響いているのである。
 ――頼むから、どうか、この痛みを止めてくれ。我らを止めてくれ……!
「辛いのは……わかる。私も、あなたたちと同じだから」
 トルナは腕を大きく広げ、彼女たちの悲しみを受け止めていた。
 黒い霧を吸いこむたびに、己の体内でコアが熱く脈動しているのがわかる。まるで身体の中にマグマが渦巻いているような感覚だった。少しでも気を抜けば、再び意識を失いかねないだろう。
 それでも――と、トルナは歯を食いしばった。
 体内のミストコアは、もうまもなく十分な状態に至る。自分にはわかる。それが最後だ。
 トルナは大きく息を吸い、「彼女たち」を見上げる。
「大丈夫、あなたたちは私が止める。私にも、守りたいひとたちがいるから」
 トルナが『晴嵐』の柄を握りしめた。これはもはや、自分にしかできないことなのだ。たとえその先で命を落としたとしても構わない――と思う。
 心残りは、ないとはいえないけれど。
 そのときだ。
「……トルナぁぁぁぁっ!」
 背後から名を呼ばれる。振り返るとそこには、己の心残りそのものというべき人物の姿があった。シエロやグランドーと共に、たくさんの思い出をくれた大切な仲間だ。
「ノアート……」
 よほど憔悴しているのだろう。額には大粒の汗が浮かび、肩で息をしている。真剣な瞳が、まっすぐにトルナを見つめていた。
「ダメだ、トルナ! そんなのはダメなんだよ!」
 どうやらノアートは、トルナがなにをしようとしているのかわかっているようだ。わかっているからこそ、こうして止めに来たのだ。
 優しいひとだと思う。
 ミスト源を探す旅の中でも、ノアートはずっと自分を気に掛けてくれていた。化け物と呼ばれていた自分にも分け隔て無く接し、人間になるチャンスをくれた。
 ノアートがいなければ、自分は今ここにいなかっただろう。みんなを守りたいと思えるようになったのは、間違いなくノアートのおかげなのだ。
「ありがとう、ノアート。私に、大事なことを教えてくれて」
「そんなこと……! いまさら礼なんていい! 王都に帰ろう、トルナ! みんなで一緒に帰るって、約束しただろ!」
「それは、できない」
 トルナがそう告げると、ノアートは「そんな……」と眉尻を下げた。トルナを絶対に失いたくないと思ってくれているのだろう。そんな気持ちがひしひしと伝わってくる。
 それだけで十分だった。胸の中に、暖かさを感じる。もうみんなに会えないとしても、寂しさは感じない。
 ――そうか……。
 「彼女たち」の呟きが、頭の中に響いてくる。
 ――そなたは、人間を望んていたのだな。
 ――化け物としての力を持ちながら、どこまでも人間を望んだ。
 ――だからこそ、私たちとは違う道を往けるのね……。
「そう……。だから私は、人間みんなのために、この力を使う……!」
 トルナは己の胸に指を突き立てた。
 爪が肌を切り裂き、じわりと熱い血が溢れる。痛みはあるが、そんなものは関係ない。ノアートたちを救えるのなら、こんな身体など、どうなっても構わないのである。
「トルナ!」
 駆け寄ろうとするノアートを、トルナは『晴嵐』を握った手で突き飛ばした。こうするしか、他に方法がないのである。
「う……ぎぃっ……ああああああああっ!」
 指先に力をこめて、己の肉を切り裂き、そして骨を砕く。噴射機のように飛び散った血のせいで、辺り一面が真っ赤に染まっている。
 トルナの指先は、体内のミストコアへとたどり着いていた。
「――馬鹿な!」
 ふと近くから、焦ったような男の声が聞こえてきた。
 ベリヒトだ。失った片腕から黒い液体を垂れ流しながら、よろよろとした足取りでこちらに向かってくる。
「馬鹿な馬鹿な馬鹿な……! トルナード・ヴェイル、まさかあなたは、自力で〝死天使〟の核を取り出そうとしているのですか!」
「だったら……なに」
 身体じゅうが煮えたぎっているかのような痛みの中で、トルナの手は己の体内に存在するミストコアを強く握りしめていた。
「このコアに蓄えられたエネルギーなら、デブリキメラを完全に破壊することができる。みんなを助けるには、それしかない」
 コアは完全に臨界点に達しているようだ。燃えるように熱く、どくん、どくんと脈動を繰り返している。
 このコアはトルナの命そのものだ。これを失えば、自分は死ぬ。それは十分にわかっているのだが、不思議と怖さは感じなかった。
 トルナの心を占めているのはむしろ、胸いっぱいの嬉しさだったのである。
「私は……自分が『化け物』で良かったと思ってる。この力で、大好きなひとたちを救えるんだから……!」
 つかんだコアを、思い切り体内から引き抜いた。ぶちぶちぶち、と嫌な音が聞こえてくる。これまで自分の命を繋いでいたものが、勢いよく千切れていく音だ。もう、後戻りはできない。
 ――あなたは、優しいね。
 頭の中で「彼女たち」が囁いている。
 ――だから、他の誰かが大切に想ってくれている。
 ――我も本当は、そなたのように……。
 心の中で、「ごめん」と呟く。トルナが消えゆく彼女たちに対してできるのは、頭を下げることだけなのだ。
 一方ノアートは、コアを握りしめるトルナを見て、今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
 別れは辛い。しかしこうやって辛いと思えることこそが、人間であることの証左なのだろう。最期に見守ってくれていたのが、ノアートで本当に良かったと思う。
「さよなら……ノアート……」

 トルナは口元からこぼれる血を拭いながら、握った『晴嵐』に目を落とした。 ここからはいつもの手順だ。身体から引き抜いたばかりのコアを、駆動部のギアボードに接続する。
 『晴嵐』に組みこまれたコアは、目も眩むような青い光を放ちはじめた。やはりこのコアは普通ではない。これまで幾多の激闘をくぐり抜けてきた『晴嵐』ですら、その高出力には耐えきれないようだ。早くも刀身にヒビが入り始めている。
 ギアも自分の身体も、限界を突破している。残された時間はほとんどない。
 せめて、一太刀だけでも――。トルナは己に残された最後の命を絞り出すようにして、デブリキメラに向き直った。
 そのときだ。
「それを、寄越せェェェェ!」
 突然ベリヒトが、死角からトルナに飛びかかってきた。
 手負いの人間とは思えないほどの瞬発力だ。トルナは思わず、ベリヒトに組み伏せられてしまう。
「その核は、貴様らのような下等生物が触れていいものではないっ! 神の兵器に組みこまれるべきものなのですっ!」
「誰が、あなたなんかに……!」
「今すぐこちらに渡しなさいッ! この死に損ないがァァァァッ!」
 ベリヒトの握り拳が、トルナの頬を打った。
 普段ならば、この程度の殴打に屈するトルナではない。しかし今は、己の生命そのものというべきコアを失っているのだ。秒単位で力が失われていくのがわかる。
 それでも、こんな男に奪われるわけにはいかない――!
 必死の抵抗の中で『晴嵐』はトルナの手から弾き飛ばされてしまった。くるりと宙を舞い、地面に突き刺さる。
「ちいっ……!」
 ベリヒトはすぐさま立ち上がり、『晴嵐』に手を伸ばそうとする。しかしそれより一瞬早く、『晴嵐』の柄を握った者がいた。
 ノアートだ。

 ふと、ノアートは奈落の谷での戦いを思い出していた。
 首領級の急襲を受け、絶体絶命に陥っていたあのとき――。そういえばあのときも、ノアートの目の前にこのミストギアが突き刺さっていた。
 まさしくそれは、絶望を切り裂く希望の鋼。
 あのときと同じように、ノアートは『晴嵐』の柄を握りしめた。

 ただひとつ違うのは、今このギアには、あのときとは比べものにならないくらいの強い想いがこめられているということである。
「貴様ァッ! それに触れるな!」
 ベリヒトが、ノアートに向かって手を伸ばそうとする。しかし、その手は届かない。トルナがベリヒトにしがみつき、食い止めているのだ。
「ノアート……! もう、あなたに頼るしかない……! お願いだから、その剣でみんなを――」
 ごぽりと血塊を吐き出しながら、トルナはノアートを見上げている。心からの懇願――彼女のこんな表情を見たのは初めてだった。
 もうトルナは助からない。ノアートもそれは理解している。
 だとすればせめて、彼女の想いを遂げさせてやりたい。彼女が最後に成し遂げようとしたことを、代わりに成し遂げてやるのだ。
 それは今、ここにいる自分にしかできないことなのである。
「わかったよ、トルナ……!」
 ノアートは、まっすぐ頭上に『晴嵐』を振り上げる。組みこまれたトルナのコアは、周囲に漂っていた黒い霧を吸収し、まばゆい光を放った。
 ギアの駆動部から、恐ろしいほどのエネルギーが吹き出している。反動が強すぎて、剣を構えているだけでやっという状態だ。
 パキン、と乾いた音が響く。エネルギーに耐えきれず、『晴嵐』の刀身がもろくも砕け散ってしまったのだ。
 ベリヒトが「馬鹿ですねェ!」と声を上げる。
「下等生物どもの玩具が、神の力になど耐えられるはずがないんですよォォォ!」
「いいや、これで終わりじゃない!」ノアートは首を振る。『ミストギアは……人々の希望は、決して砕けないんだ!」
 砕け散った『晴嵐』の刀身の根元から、ミストエネルギーが奔流となって立ち上っていた。まるで世界中の人々の祈りがこめられているかのような、光輝く黄金の柱である。
 光の柱はグラウンド・ゼロの空を貫き、天高くまっすぐに伸びていく。

 ベリヒトが、目を見開いた。
「あれは、剣……!? 煉獄霧プルガトロンのエネルギーを、そのまま巨大な刀身に変えたのかァァ!?」
「これで最後だ、ベリヒト! 神様だろうが究極の兵器だろうが、全部まとめて叩き潰してやる!」
 ノアートが睨み付けると、ベリヒトは「なんと愚かな!」と、金切り声を上げた。
「そんなエネルギーの塊を振るって、ただで済むと思っているのですか!? デブリキメラどころか、あなた自身も消し炭になるのですよ!?」
「トルナだって覚悟を決めてたんだ! ただで済むだなんて思ってないっ……!」
「この下等生物どもめェェェェェェ……!」
 ベリヒトの恨めしげな叫びを無視し、ノアートは大きく息を吸いこんだ。
 見据えるのは、目の前に鎮座する巨大な球体、デブリキメラだ。
 この兵器もまた、己の最期を予期しているのだろうか。「アァァァアァァァ」と悲しげな声をあげている。
「だけど……必ず生きて帰ってみせる! トルナも一緒に! 全員で王都に帰るんだあああああああああああっ!」
 叫びと共に、ノアートは剣を振り下ろした。

 目の前の光景に、思わずシエロは感嘆の息を漏らしていた。
「なんだ、あれ……」
 天高くそびえ立った光の柱が、蒼穹を貫いている。よほど強力なエネルギーなのだろう。空を覆っていた暗雲はすっかり吹き飛ばされ、七色のアーチが架かっていた。
 あれが、虹というものだろうか。
 綺麗だ、とシエロは思った。あんな光景は、生まれてこのかた見たことがない。

「ありゃあ、トルナとノアートの仕業か」グランドーが口を開いた。「よくわからねえが、あいつら、やり遂げたってことか」
 周囲の誰もが、息を呑んで天を見守っている。GEARS隊員だけではなく、ナハルの民もウパシの民も、それから聖戦士たちも、空を貫く光の柱と、七色の虹の光に見入ってしまったのだった。
「いったいあれは、どういう原理なんでしょう」
 そう呟いたのは第四小隊の副隊長、デュオだった。
 彼らがこの場所まで戻ってきたのは、つい先ほどのことだ。あちこち負傷だらけになっている彼らは、第一小隊の手で応急処置を受けていた。
「あれほどの規模のミストエネルギー、俺は見たことがありません。天候すらも変えてしまうなんて前代未聞です。これはあくまで推測ですが、おそらく臨界状態のコアがさきほどの超高濃度ミストを吸収したことにより、強烈な放射反応を――」
 唸るデュオの傍らで、ロゼが「はあ」とため息をつく。
「あんたも野暮だね。ああいうのは、奇跡っていうんだよ」
「奇跡、ですか」
「そう、奇跡」
 したり顔で頷くロゼに、「そうだね」と声がかけられる。
 アラシだった。傘を杖代わりにしながら、なんとかこちらに向かってこようとしているようだ。
「隊長!? 大丈夫なんですか!」
「まあ、なんとかね。第一小隊の皆さんが手当てをしてくれたおかげで、なんとかギリギリ生きてる。これも奇跡ってやつなのかも」
 痛々しい姿だが、アラシはそれでも笑みを浮かべようとしている。どうやら、命に別状はないようだ。
「まあ、教団の連中の言ってた『奇跡の力』は紛い物だったけどさ。案外こんな世の中でも、本物の奇跡が起こることがあるのかもしれないよ」
 アラシはそのまま、岩山の方へと視線を向ける。
 そこにいたのは、あのリボンの少女――ナギだ。
 赤いローブ姿の壮年男性に肩を貸しながら、彼女もまた、ぼんやりと空を貫く虹を見上げていた。

 ナギには最初、その七色の光をなんと形容したらいいかわからなかった。こんなに綺麗な光は、「根ノ國」ではもちろん、地上に出てからすら目にしたことはない。
 数十秒ほど心を奪われているうちに、ナギはようやく「ああ、もしかして」と光の正体にようやく思い至る。
「これが、虹……?」
 じいさま――「根ノ國」の長は、ことあるごとに言っていた。地上の空には虹という、七色に輝く光が生まれることがある、と。青い空に映える虹はなによりも美しく、人の心を潤すものなのだ、と。
 青空にかかった七色の光に、ナギは嘆息する。
 じいさまが焦がれていたのもわかる気がする。目の前の光景は、この世のものとは思えないほどに美しいものだった。どうやら地上には、まだまだ自分の知らない景色があるらしい。
 ナギの隣で、イブキもまた、「ははっ」と笑みを漏らしていた。
「こいつが、じいさまの見たかった空か。帰ったらせいぜい自慢してやらねえとなあ」
 ナギは「そうだね――」と言いかけ、はっと我に返った。
 今、イブキは確かに言った。「じいさまの見たかった空」と。
「お父さん、もしかして記憶が――!?」
 そのときだった。
 激しい爆風が起こり、デブリキメラが「アギイイイイイイッ!」と悲鳴を上げた。天高くそびえ立っていた光の柱が倒れ、デブリキメラを叩き潰したのだ。
「……ホントに、よくやったよ、お前らは」
 ナギの頭に、ぽん、とイブキの手が乗せられる。昔となにも変わらない、大きくて優しい手だ。
 ナギの目の奥が、じわりと熱くなる。

「はあっ……はあっ……!」
 ベリヒトは、地面の上でもがいていた。
 腰から下の肉体は、既に消滅している。気がついたときには、島の海岸沿いだった。
 あの爆発のせいだ――とベリヒトは思う。〝死天使〟のコアが生み出したエネルギーが、ベリヒトの身体をバラバラに吹き飛ばしてしまったのである。
 あの爆発ではおそらく、デブリキメラも破壊されてしまったことだろう。
「おのれ、下等生物どもめェッ……」
 残されているのは腕が一本だけ。ベリヒトはその片腕だけで、ナメクジのように這って逃げることを余儀なくされているのだった。
 屈辱だった。こんな文明の遅れた世界で、野蛮人どもに計画を頓挫させられる。それが悔しくてたまらなかった。
「しかし、まあいい……。どうせこの星から煉獄霧プルガトロンが消えることはない。究極の兵器を造る機会は、この先いくらでもある……」
 失った身体の部品も、また造ればいい。元々が機械の身体なのだ。半身を無くしたところで、痛くもかゆくもない。
 問題は、この島から無事に逃れることができるかどうかである。島の裏手に向かえば、脱出用の船があるはずだ。
 なんとかそこまでたどり着ければ――と、懸命に這うベリヒトの耳に、足音が聞こえてきた。
「――止まりなさいっ!」
 振り向けば、槍を手にした小娘の姿があった。あのいまいましい、クラウディア姫である。
 ベリヒトは「ちっ」と舌打ちする。
 彼女はひとりではなかった。傍らにいるのは、黒い大剣を手にした小僧だ。確かウェズとかいったか。
「お前が諸悪の根源だってことはわかってる! もう逃がさないぞ!」
 厄介なガキどもである。一度ならず二度までも、自分を阻もうとするとは。
 彼らはこの星の下等生物どもの中でも、特に胸くそが悪くなる相手だった。
 クラウディアが、ベリヒトの鼻先に槍の先端を突きつける。
「観念するのですね、ベリヒト。生きとし生ける者の命を弄んだ報いを、その身で受けてもらいます」
「しょせんあなたたちには、理解できないのでしょうねェ……」
「なんのことだ?」ウェズがベリヒトを睨み付ける。
「星の海の果てには、あなた方の知らない世界がある。その世界で生き延びるたびには、手段を選んでいる暇などないのです。たとえ他者を踏みにじってでも、力を得なければならない……」
「お前たちの都合なんて、知ったことか!」ウェズが吼えた。「守りたいものがあるなら、自分の手で守ればいい! おれは知ってるんだ……! 他の誰かを犠牲にしなくちゃ得られない勝利なんて、そんなのは空しいだけって!」
「戯れ言を……!」
 呟きながら、ベリヒトは「ん?」と眉をひそめた。
 ガキどもの背後で、岩石が動いている。高さ三メートルほどの巨岩が、ぶるぶると身を震わせているのだ。
 いや、よく見ればあれは岩ではない。死体の塊だ。
 はじけ飛んだデブリキメラの破片が、動いているのだ。
 しめた、とベリヒトは唇の端を吊り上げる。
 あの程度の破片になっても、デブリキメラにはまだエネルギーが残っている。あのガキどもを殺すくらいの力は十分にあるだろう。
 幸いあのガキどもは、デブリキメラに背を向けている。間抜けにも、デブリキメラが触手を伸ばし始めていることに気がついていないのだ。
 これもまた、神の思し召しというやつなのだろうか――。そんな風に考え、ベリヒトはすぐに首を振った。
 いや、そうじゃない。この星において、神は私自身だ。
 ならばこれは、必然の出来事なのだ。勝利は約束されている。
 ベリヒトは大きく息を吸い、叫んだ。
「今だァァァッ! やれェェェ!」
 クラウディアが「え!?」と身を強ばらせた。
 この距離なら、クラウディアにはもはや回避不能である。触手に首を刎ねられるか、頭部を貫かれて脳漿をぶちまけるか。どちらに転んでも、あの生意気な小娘には似合いの末路だろう。
 神に背いた報いを受けるがいい――ベリヒトがほくそ笑んだそのとき、予想外の出来事が起こった。
 なぜか触手がクラウディアを避け、ベリヒトの方へと伸びてきたのである。
「えッ……!?」
 痛みを感じる暇すらなかった。
 触手は、一瞬のうちに、ベリヒトの顔面を貫いていたのである。左眼球を押し潰し、脳を破壊し、後頭部へと飛び出している。
「な……ぜ……?」
 デブリキメラに目を向ける。
 死体の群れの中にひとつ、ベリヒトを強く睨み付けているものがあった。
 あのお飾りの教主――アルトゥーラだ。
 ベリヒトは真っ赤に染まった視界の中で、言いようもない怒りを感じていた。せっかく神の兵器の一部としてやったのに、あの教主様にはそれが不満だったらしい。
 まったく、どいつもこいつもまるで使えない――。
 身体はもう、指先ひとつ動かせなくなっていた。全身のほとんどを機械化しているはずなのに、なぜか酷く寒さを感じる。
 まさか、これでもう、自分は終わりなのだろうか。
 こんな辺境の惑星で。
 結果を残すことすらできずに。
「み、認めない……こんな……こんなところで……終わるのはァァ……」
「せいぜい苦しみもがくことですね、ベリヒト」
 クラウディアの声が、はるか遠くに聞こえてくる。
「ミスト症候群に冒された者も、エネミーに殺された者も。それから、おぞましい実験の犠牲になった者たちも……あなたに命を弄ばれた者たちは皆、今のあなたと同じように思っていたはずです。あなたは、その苦しみを理解しなければならない」
「ぐうっ……この……」
 何も知らない下等生物のくせに――すぐにでもそう言い返してやりたいところだったのだが、残念ながらそれはできなかった。
 さらに伸びた触手が、ベリヒトの喉を食い破っていたからである。
 それが、神の末路だった。

 グラウンド・ゼロでの作戦では、GEARS隊員のおよそ三分の一が命を落とした。無事に王都へと帰還できた三分の二でさえ、そのほとんどが半死半生の状態だったのである。
あの極彩色の島での戦いは、これまでに類をみないほど激しいものだったのだ。
『霧の翼』との戦いは、間違いなくヴァルクス王国の歴史に残るだろう。少なくとも自分には、それを語り継ぐべき責務がある――クラウディアはそう考えている。
 あの戦いから、一か月が経っていた。
 クラウディアは、王都に戻って以来、ずっと政務に没頭している。作戦の残務処理に、隊員遺族たちへの弔問。それから、行き場を無くした『霧の翼』信者たちの受け入れ業務。王の代理として、様々な雑務をこなさなければならなかったのである。
 気が休まる暇など皆無だが、それが自分の役目なのだ。仕方がないといえば仕方がない。
 クラウディア・ヘイゼルバッハ・フォン・ヴァルクスの戦いは、むしろこの王宮で行われるべきものだからだ。
「――姫様、例の計画は、本当にこちらで進めてよろしいので?」
 玉座の前で恭しく頭を垂れているのは、ミスト技研の代表、フリエレン・ド・アレヴィである。
 相変わらず腹の底が読めない男だが、ミスト関連の技術においては王都で右に出る者はいない。彼ならきっと、自分の望む結果を出してくれることだろう。
 クラウディアは「よしなに」と頷き返した。
「ミスト症候群の治療は、現状なによりも優先されるべき課題です。戦闘用ギアの開発計画を縮小し、そちらから予算を回しましょう」
「ああ、そういってくださると非常に助かりますね」
 フリエレンは、にこやかに微笑んだ。
 ミスト技研では今、ミスト症候群の治療薬が開発されている。開発のきっかけになったのは、あの『霧の翼』の本拠地――〝神気の社〟内部で発見された資料だった。
 さすがミストに関する人体実験を行っていただけあって、『霧の翼』には多数の有用な研究結果が残されていたらしい。フリエレンいわく、それらのデータを上手く活用すれば、肉体の改造を行うことなく、ミストを克服することさえできるという。
「しかし、本当に良いんですかねえ? あの研究を利用することについて、結構倫理的に問題視しちゃってるひともいるみたいですけど」
「構いません。全ての責任は私が取ります」
『霧の翼』に――あのベリヒトという男に実験材料にされた人々が、どんな目に遭ったのか、クラウディアも知らないわけではない。非人道的な研究結果を利用することに、後ろめたさを感じるのもまた事実である。
 しかし、とクラウディアは思う。
「どのような手段を用いても、我々は生き延びなければなりません。それが犠牲になった人々のためにできる、せめてものはなむけです」
「ええ、すべての技術は、ヒトは生かすためにある。それは僕も同感ですよ」
 フリエレンは立ち上がり、一礼する。
「それでは、さっそく治療薬の量産を開始いたします。三年以内に、この国からミスト症候群を駆逐してみせましょう」
「期待していますよ。フリエレン・ド・アレヴィ」
 立ち去るフリエレンを見送り、クラウディアは「ふう」と息をついた。朝から連続で、二十件もの謁見業務をこなしたせいだろうか。さすがに気疲れする。
 正直なことをいえば、こうして政務を行うよりも、表で槍を振り回している方が自分の性に合っている。それをおおっぴらに言えないのが、王女の辛いところだ。
 疲れが顔に出てしまったせいだろうか。背後に控えていた新人の護衛役プリンセスガードが、「大丈夫ですか?」と声をかけてきた。
「お疲れなら少し休憩を取ってはいかがですか、クラウディア様」
「いえ、まだ平気です。父上の代役として、弱音を吐くわけには参りませんから」
 クラウディアは護衛役の方に振り向き、「それと」と付け加えた。
「堅苦しい口調はやめてください。ふたりきりのときは、『ディア』と呼ぶ約束でしょう」
「あ、はい……じゃなくて、えーと、うん」
 護衛役――ウェズ・アーマライトは、しどろもどろになりながら頬を掻いた。

「いや、あの、なんていうかさ……。おれ、こういうのまだ慣れてなくて……緊張しちゃうっていうか」
「まあ、仕方がありませんね。任命されてまだ一週間ですし。直に慣れるでしょう」
「でも、本当に良かったのかな」煮え切らない表情で、ウェズが続ける。「おれなんかが第一小隊の隊長になっちゃって。正直、実力も経験も、レックスさんには到底及ばないと思うんだけど」
「そのレックスが、あなたを後任として認めたのですよ。『二度も姫を救ったキミこそ、誰よりもプリンセスガードに相応しい』と」
 隊員の多くを失ったGEARSは、大規模な組織改編を余儀なくされていた。
 アエスタス・レックスは、先の戦いで重傷を負ったホーライに代わり、総隊長の地位に就いている。それでウェズが、空いた第一小隊の隊長の枠に収まったというわけだ。
「うーん、でもそれ以前におれ、そもそもGEARSを除隊になってたはずなんだけど……」
「文句をいう人間など、誰もいませんよ。そもそも、王女わたしの決定なのですから」
 クラウディアが胸を張ると、ウェズは「あはは」と困ったような笑みを浮かべる。
「ディアって真面目に見えて、結構無茶苦茶だよなあ」
「だからこそ、私にはあなたが必要なんですよ、ウェズ」
 クラウディアはいったん言葉を句切り、ウェズの黒い瞳をじっと見つめる。
少し見ないうちに、ウェズはとても男らしくなったと思う。どこか彼の父親――あの〝鋼鉄の英雄〟を彷彿とさせるような風貌だ。以前よりもずっと、頼りがいを感じる。
「ミスト源にたどり着いてわかったのは、私たちにはミストを止めることはできないという事実。これはつまり、人間とミストとの戦いは、未来永劫に続くということです」
「ああ、そうだね。オペレーション・ミストブレイクに終わりはない」
「私はこの国の王女として、人々の旗頭にならねばなりません。それはきっと、辛く険しい道です。だから――」
 クラウディアが言い終わる前に、ウェズが「大丈夫だよ」と口を開いていた。
「おれが守るって言ったろ。ずっとそばにいるから」
 クラウディアの胸が、とくん、と高鳴った。
このウェズという男、普段は自己主張が少ない性格のくせに、こういうことを臆面もなく言ってしまう。だからズルいのだ。
頬が赤くなったのを悟られないように、クラウディアはつとめて冷静に告げる。
「頼みますよ。私の英雄さん」

「『ずっとそばにいるから』とかさあ、格好付けすぎだと思うんだよ」
 アラシが手にしたグラスをぐい、と呷る。
「あんなぽっと出の若造のどこがいいんだか……。お兄ちゃんとしては、正直理解に苦しむよ」
 憎まれ口を叩いているように見えて、アラシは上機嫌だった。口元がニヤついているのに、自分で気がついているのだろうか。
 そういえば――とナギは思う。アラシが楽しそうにお酒を呑むのを見るのは、これが初めてだったかもしれない。怪我が完治していないにも関わらず、もうグラスを十杯近く空にしている。どうやら、見た目以上の酒豪のようだ。
 お父さんとどっちが強いかな、などとナギは考えてしまう。
 ロゼもまた、ジョッキを手にケラケラと笑っていた。
「いやいや、ウェズはいいヤツだよ? あたしが保証する」
「そうですね。俺も少し話す機会がありましたが、彼のギア改造技術は実に独創的なものでした。たとえばほら、重量級の大剣を不自由なく振るうために、手甲に独自のパワーアシスト機構を組みこんでいたりするんです。そのあたり、実に発想がユニークで――」
 デュオの語るうんちくを聞き流しながら、ナギは手にした肉串をひと囓りする。串全体に滴る肉汁が、とろけるようにジューシーだ。さすが、地上の食べ物はひと味違う。
「うん、美味しい!」
 ここは王都のレストラン、『エッセン亭』。ナギにとっては、初めて王都の料理の味を知った思い出の店でもある。
今夜この店では、激闘を終えたGEARS隊員たちのために、大規模な宴会が催されているのだった。
 テーブルに並んでいるのは、世界各地の美食の数々だ。
 王都自慢のウサギ肉料理に、あっさりとした茶碗蒸し。香辛料たっぷりのカレーもあれば、雪国の食材を使った珍しい鳥肉料理もある。
 しかも喜ばしいことに、それぞれ量が半端ではない。店内だけではなく、店の外の通りにまで料理が並んでいるほどなのだ。店員の女の子――確か、サニィちゃんと言っていた――によれば「GEARSの皆さん全員を招待するにはお店が小さすぎるので、オープンテラス方式にしてみました!」とのことだった。
「ホントは、イブキさんも連れて来られれば良かったんだけどね」
 ロゼに視線を向けられ、ナギは「そうだね」と返す。
 イブキは現在、『根ノ國』にて療養中である。教団による処置の後遺症を払拭するために、日々リハビリに励んでいるのだ。
「お父さんも順調に良くなってる。今度は『根ノ國』の皆も連れて、王都に遊びに来ようと思ってるんだ」
「それはいいね」アラシが頷く。「ところで、ナギくんはこれからどうするんだい?」
「これから?」
「ミスト症候群の治療法が見つかったことで、故郷の人々を救う手はずは整いつつある。お父さんにも無事会えたことだし……『根ノ國』に戻るのかい?」
「ああ、うん。そのことは、私も少し考えたんだけど――」
 ナギは肉串を皿の上に置き、アラシを見つめる。
「病気が無くなったとしても、ミストが消えたわけじゃない。エネミーだって、たくさんいるからね……。困ってる人たちは、まだまだ世界中にたくさんいると思うんだ」
「そうだね。残念ながら僕たちGEARSは、これからも大忙しだろうね」
「だからね、私ももうちょっと、みんなのお手伝いをしようと思うんだ」
「いいのかい? せっかくお父さんと会えたばかりだってのに」
 ナギは「うん」と頷いた。
「お父さんも、きっと納得してくれると思う。泣いてる人たちに、世の中は絶望ばっかりじゃないよって……世界は変えられるんだって、教えてあげたいんだ」
「そうか」
 アラシはテーブルにグラスに置き、にっこりと微笑んだ。
「ナギくんがGEARSにいてくれるなら百人力だ。安心して第四小隊を任せられるよ」
「任せられるって……アラシさんは?」
「僕は――少し、実家に戻ろうと思ってさ」
「ええっ!?」
 ナギは耳を疑った。
 アラシの実家といえば、この国を統べる王室である。王子としての地位を捨ててからもう何年も経っているはずなのに……今更いったい、どういう風の吹き回しなのだろうか。
「今回の一件のおかげで、ミストの謎もだいぶわかってきたからね。これから王都は他の地域の人々と手を取り合って、新しい国作りに注力していくことになる。そんな一大事業を妹だけに任せるのは、ちょっと酷だと思ってさ」
「なるほど……」
 飄々としているように見えて、アラシも家族想いだということなのだろう。あのお姫様――クラウディア姫も、ナギにとっては知らない相手ではない。さほど年も離れていないだろうに、国ひとつを背負わなければならないなんて大変なことだと思う。
 アラシが彼女を手伝いたいという気持ちは、とてもよくわかるのだ。
 デュオが「要するに」と口を開く。
「シスコンというわけですね」
「なんだかんだ言ってこの『お兄ちゃん』は、可愛い妹に悪い虫がつくのが我慢できないんじゃない?」
 茶化すロゼに、アラシは「あのね」とため息をつく。
「キミたちさ、仮にもこの国の王子に向かって言い方酷くない?」
「いやいや、そもそも隊長は王子って柄じゃないでしょ。隊長が白ソックスで白馬に跨がってたら、あたし吹き出す自信あるわ」
 思わずその絵面を想像してしまい、ナギも「あっはっは!」と大声をあげてしまった。
「そうだね。アラシさんはアラシさんだ。肩書きなんか、別に関係ないよ!」
 ナギの言葉に、アラシは「そうかい」と鼻を鳴らした。
それがどこか嬉しそうだったのは、ナギの気のせいではないのだろう。

「第四小隊の皆さん、盛り上がってますねー……」
 グラスを傾けながら、アウラがぽつりと呟いた。
 頬はすっかり上気し、とろんとした顔はいつにも増して眠そうである。上半身がフラフラで、シエロは見ているだけで心配になってしまう。
「ちょっとアウラちゃん、飲み過ぎなんじゃないの?」
「ふぇ? これ、お酒じゃありませんよー……? ジュースです、ジュース」
「ジュースでそんなに酔っ払うか……?」
 普段から半分寝ているようなアウラのことだ。これが平常運転だと言われれば、そんな気がしないでもない。
 料理の乗ったトレイを片手に、サニィが呟いた。
「まあ、アウラ先輩のことですから、寝ぼけてお酒とジュースを間違える可能性は十分にありますけどねえ」
「ああ、十分あり得るな。そりゃ」
「なんて無防備な……。ほら先輩、起きて下さい! このままじゃ、シエロさんみたいな悪い輩にお持ち帰りされてしまいますよ!」
「いや、おれそんなことしないからね?」
 サニィが揺すっても、アウラは「あーうー」と胡乱な返事をするばかりである。
 サニィは「まったく」と肩を竦める。
「とりあえず、先輩のことは私に任せて下さい。奥で介抱しておきますので」
「いいの?」
「はい、シエロさんはせっかくなので、料理を楽しんで下さいよ。どれもこれも、腕によりをかけた自信作なんですから」
 サニィはトレイを脇に置き、アウラの肩に腕を回した。どこか横になれる場所まで連れて行くつもりなのだろう。
 シエロがそれを見送っていると、すぐ近くから「やれやれ」とため息が聞こえてくる。
 グランドーだ。
「ったく、辛気くせえ面しやがって」
「そういう大尉こそ」
 グランドーとふたりで「ふう」と息をつき、近くの席に座る。
 こうしてざっと見る限り、他の隊の面々はそれなりに宴会を楽しんでいるようだ。ギュスターヴもブリットもネヴィスも、怪我の具合は良好なのだろう。部下たちと憩いのひとときを過ごしている。
 しかしシエロにはどうしても、心の底からこの会を楽しむことができないのだった。
「まだノアートたちのこと、考えてんのか」
「まあ、そうっすね」
「割り切れ……つーのも、酷な話だよな。あれからまだ一か月だ。戦友を亡くした痛みが癒えるには、短すぎる時間だぜ」
 ノアートとトルナは、虹の中に消えた。
 あとでフリエレンから聞かされたことだが、デブリキメラを倒すためには、トルナの体内のミストコアを使うしかなかったのだという。トルナからコアを受け取ったノアートが、その身を挺してデブリキメラを仕留めたのだ。
 あのふたりが命をかけなければ、GEARSは全滅していた。王都にすら壊滅的な被害が出ていたかもしれない。
 あの戦いの最中、トルナを化け物呼ばわりしていた者たちも、それを理解したのだろう。彼女に対する誹謗中傷が囁かれることは、もうほとんどなくなっていた。
 もっとも、トルナ本人がいなくなってしまった今では、なんの意味もないけれど――と、シエロは思う。
 グランドーが、しかめ面で酒瓶を呷った。
「<にじかすみの日>……だとさ」
「なんすか、それ」
「グラウンド・ゼロでの戦いの日のことだ。最近じゃ、そういう風に呼ぶ連中が増えてるみたいだな」
「虹霞……あのとき現れた虹のことっすか」
「<煉獄の日>から七十年続いたミストの支配を、はじめて覆した記念日つってな……。虹の中に消えたあのふたりは、めでたく王都の歴史に名を残す救世主になったってわけだな」
「救世主ね……。そんなのになっちまうより、戻ってきてくれた方が何百倍も嬉しいんだけどな」
 シエロの呟きに、グランドーは何も応えない。押し黙ってはいるが、気持ちはシエロと同じなのだろう。
 ふと、シエロはホールの隅に目を向ける。そこではエフェメラがひとり、ジョッキを片手にテーブルに突っ伏していた。
 最近のエフェメラの姿を見ていると、とても胸が痛くなる。誰よりもトルナを慕っていた彼女だからこそ、ショックは大きいのだろう。トルナが帰ってこないと知ったときのエフェメラの落ちこみようといったら、目も当てられないほどだった。誇張ではなく、三日三晩泣き通したほどなのである。
 シエロは席を立ち、エフェメラの側に移動した。
「エフェメラ姉さん、あんまり飲み過ぎないでくださいよ」
「ええ……そうですね」
 気のない返事を聞いて、シエロは言葉に詰まった。口を開けば罵詈雑言が飛び出していたこの従姉いとこが、「そうですね」である。
 これはもう、重症だった。
「おれだって辛いっすけどね……。でも、姉さんが落ちこんでたら、ちょっとおれも調子くるっちゃうんですよ」
「…………」
「なんつーか、エフェメラ姉さんはもっと辛辣でいいんすよ。ほら、いつもの悪態はどうしたんすか? 言葉のナイフでおれのハートを切り刻んでこそ、姉さんでしょ?」
 やはり、エフェメラは何も応えない。じっと俯いたままテーブルの木目を睨み付けている。
 こりゃあダメかな――シエロが踵を返そうとしたそのとき、エフェメラが突然、がばりと顔を上げた。
「ね、姉さん?」
「匂いがする……」
「匂い?」
「トルナお姉さまの匂いがする……!」
 いったいなにを言い始めたのか。問いただそうとしたシエロの耳に、チリン、とドアベルの音が聞こえてきた。
 誰かが、この食堂にやってきたのだ。
 戸口に立つ人物の姿を見て、シエロは息を呑んだ。
 さらさらと流れる銀の髪に、絹のごとく透き通った白い肌。まるで女神のように均整のとれた美しいプロポーション。翠水晶の瞳は、まっすぐにシエロたちのテーブルを見つめている。
 それは間違いなく、GEARSのエース・オブ・エースである。
「ト、トルナさん!?」
「……久しぶり」
 いつものように抑揚のない声色でそう告げ、トルナはゆっくりとこちらに歩いてくる。ちゃんと足があるあたり、決して幽霊などではないようだ。

 生きていた――ということだろうか。
「えっと、トルナさん、どうして」
 色々と尋ねようとしたのだが、それは叶わなかった。シエロを思い切り押しのけ、エフェメラが前に飛び出したのである。
「お、お姉さまああああああああああ!」
 突然の強烈なハグを受け、トルナが「痛い」と顔をしかめた。
「ああ、申し訳ありません、お姉さま! お姉さまが生きていらっしゃったという喜びのあまり、このエフェメラルダ、前後不覚に陥ってしまいました!」
 そう言いながらエフェメラは、シエロを思いきり踏みつけている。ヒールが背中に突き刺さり、シエロは「ひぎいいいい!」と悲鳴を上げていた。
「……シエロを踏んでるみたいだけれど」
 エフェメラは足の下のシエロを見据え「ああ」と頷いた。
「これは別にいいんです。しょせん足拭きマットほどの価値もない男ですから」
「その言い草! 姉さん復活早すぎません!?」
 シエロはエフェメラの足の下から這い出し、こほん、と咳ばらいをする。
 まあなんにせよ、この従姉が元気になったのはいいことだ。
「な、なんかよくわかんねえけど……おかえりなさい、トルナさん」
 トルナが「ん」と頷く。
「私だけじゃない、ピヨニコフも一緒」
 トルナの肩には、いつものようにゴーグル姿のヒヨコが陣取っていた。
「ぴよぴよ」
このヒヨコとの付き合いも長いのだ。シエロを見上げて鳴く彼が、何を言っているのかはだいたい理解できる。おおかた「この俺が簡単に死ぬはずがないだろう?」とか、そういう類の台詞だ。
「ったく、ベテラン風を吹かせやがって」
「ぴよぴっぴ!」
「『実際、貴様とは踏んだ場数が違う。伊達にトルナの相棒をやっているわけはないからな』……って言ってる」
 トルナは翻訳がてら、ピヨニコフのお腹をこしょこしょと撫でつけていた。恍惚にクチバシを歪めるピヨニコフの姿は、相棒というよりもただのペットにしか思えない。
 グランドーが、「それで」とトルナに目を向ける。
「お前、どうやって生きのびたんだ。確か、体内のミストコアを失ったら、生きてられねえって話じゃなかったか」
「それは……そう。確かにあのとき、私は、自分の身体の中からコアを取り出した。それで私の命は尽きた……はずだった」
「だったら、どうして」
「私が助かったのは、あの子たちのおかげ」
「あの子たち、ってのは?」
「みんなが、デブリキメラ――と呼んでいた子たち」
 トルナの説明によれば、デブリキメラを構成していた死体たちが、トルナに接触を図ってきたのだという。聖戦士処置を受けた者同士には、なんらかの超常的なコミュニケーションが図れるということなのだろうか。
 シエロにはよくわからないが、トルナは「あの子たちは、決して敵ではなかった」という。
「みんな、本当は私たちと同じ。『生きたい』って望んでた。望んでもいない化け物にされて、『痛い、痛い』って……」
「マジかよ。そんなの、まるでわかんなかったけど」
「あの子たちはたぶん、戻りたかったんだと思う」
「戻りたかったって、どこに」
「人間の、輪の中に」トルナの声色は、どこか悲しげな響きを帯びていた。「だから私のことを助けてくれた。私だけが最後まで、人間だったから」
「つーと……マジであのデブリキメラが、トルナさんを爆発から庇ってくれたってことなんすか?」
「それだけじゃない」
 トルナが自分の胸を指さした。そこはかつて、『霧の翼』によって移植されたミストコアが存在していた場所である。
「みんな、ここにいる」
「ここ?」
「みんなが、私に命をくれた」
 どういう意味なのか。シエロが首を捻っていると、エフェメラが「ふむ」と頷いた。
「信じられませんが、デブリキメラに残されたエネルギーが、お姉さまを生かしている……ということでしょうか。それが、お姉さまの失ったコアの代わりを果たしている、と」
「んなこと、本当にあんのかよ」グランドーが眉をひそめる。
「現実にお姉さまが生きている以上、『ある』と考えざるを得ないのでは?」
「そりゃあまあ、そうかもしれねえがよ」
「要するにあのデブリキメラでさえ、お姉さまの魅力に感化され、その軍門に降ったということです。なにもおかしいことなどありません」
 おかしいことだらけっすけどね――と突っこみたいところだったが、シエロはあえて何も言わなかった。
 理屈はどうあれ、トルナは生きて帰ってきてくれた。今の自分たちには、その事実だけで十分なのである。
「それで、トルナさん」
「なに?」
「トルナさんが無事だったってことは、もしかして、あいつも・・・?」
 シエロの問いに、トルナは「そう」と頷いた。
「あの子たちが助けてくれたのは、私だけじゃない」
「やっぱりそうか!」シエロは思わず、拳を強く握っていた。「だよな! あいつがそう簡単に、くたばるわけねえもんな!」
「んで、あいつは今、どこにいるんだ?」
 グランドーの問いに、トルナがにっこりと頬を緩めた。
「ノアートなら、今――」

 燦々と照りつける太陽の下を、ノアートはゆっくりと歩いていた。
 天気は快晴。ミスト濃度は微弱。実に冒険日和だ。服の下には、しっとりとした汗が滲んでいる。
「――うわあ! すっごい!」
 前方から聞こえてくるのは、エルの楽しげな声だ。まるで年端もいかない子供のように、溌剌と響いている。
「ねえ、ノアート! 海だよ! 海! すごく大っきいよ!」
 エルが両手を広げ、にっこりと微笑んでみせた。まるで大輪のひまわりみたいな笑顔だ。
 彼女の視線の先に広がるのは、どこまでも続く青い海だった。エルは遙か水平線の彼方を見据え、「やっほー!」などと叫んでいる。
 彼女が久しぶりに見せたあどけなさに、ノアートは思わず「あはは」と笑みを零してしまう。
「あんまりはしゃぐと危ないよ。王都の外に出たの、久しぶりなんだから」
「それはそうだけどさ……。でもわたし、びっくりしちゃった。海って、こんなに大きいんだね!」
 足の不自由なエルは、長らく遠出をすることもできなかった。彼女ひとりの力では、せいぜい王都の外に出られるかどうかが関の山だったのである。
 それがようやく遠出ができるようになったのは、ひとえに彼女の歩行機械型ギアの性能向上によるものだ。すなわち、ミストギア技師であるエル自身の努力の証ということができるだろう。
「ごめんね、ノアート。わたしのワガママに付き合わせちゃって」
「新型ギアの性能評価は、立派な任務の一環だ。別にエルのワガママなんかじゃない」
「でもさ、本当はGEARSの打ち上げに参加したかったんじゃないの?」
「まあ、本音を言えば、そっちも気になってたけど」
「ほらあ」
「それでも、エルにとっては昔からの夢だったじゃないか。『一緒に世界を見て回りたい』って」
 ノアートが告げると、エルがはにかんだ笑みを見せる。
「ありがと、ノアート」
「いいって」
 ノアートは首を振り、また歩き出す。
「それでエル、どこに行く?」
「んー……そうだね。どこでもいい。ノアートと一緒なら、どこにいっても楽しいだろうからね」
 なんだそれ――とノアートは苦笑する。
 さりとて、これは自由気ままな旅なのだ。オペレーション・ミストブレイクのときのように、明確な目的地があるわけではない。大事なものを背負っているわけでもない。
 たまにはのんびり、風の向くまま気の向くままっていうのも、悪くはないかもしれないな――と、ノアートは思う。
「とんでもない濃度のミストに出くわしたり、超強いエネミーに襲われる可能性はあるけど……まあ、それはそれで旅のスパイスか」
「そうそう、ポジティブに行こうよ」
 エルが、冗談っぽく白い歯を見せた。
「この先どんな苦難が待ち受けようとも、決して屈することはありません。私たちにはこの希望のミストギアがあるのですから――ってね」
「それ、もしかしてお姫様の真似?」
「似てた?」
「全然」
 エルと笑い合いながら、真っ白な砂浜を歩く。誰も踏んだことのない砂の上に、しっかりと足跡を刻みながら。
 ノアートは、腰に差した剣の柄に手を触れた。
 自分たちの進む道には、いつでも希望が共にある。
 だからきっと、どんな理不尽にだって、立ち向かっていけるのだ。

<FIN>